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第33回県連ふるさと巡り=リオ、ミナス街道をゆく=《4》=歴史残るコーヒー農園に=120本の桜がすくすくと

ニッケイ新聞 2010年3月30日付け

 4日目朝7時半、バスに乗り込み、リオのコンセルバトーリアから出発する。一行が向かった先は、約70キロ離れたヴァレンサ。
 ヴァレンサは、19世紀初頭に大規模なコーヒー栽培で栄えた町。ヨーロッパから移住してきた実業家、貴族の農場主によってファゼンダに建てられた豪華な大邸宅が、今でも27カ所残っている。
 同地に到着した一行も、さっそく歴史の残るファゼンダ・ダ・タクァラを訪れる。同ファゼンダは、1800年に移住したポルトガル家族により30年代に建てられたもの。
 現在、同ファゼンダを経営する6代目のマルセロ・ストレバさん(36)が一行の案内役を務め、「昔は多くの奴隷がいて、ファゼンダ内に約230人もの人が住んでいた」と、当時の様子を説明する。
 邸宅内に今も残されている豪華な家具や食器、衣類、珍しかったとされるフランス製のピアノや香水からは華やかな生活ぶりが想像できるようだ。
 コーヒーファゼンダで使用されていた農機具も展示されており、西田稔さん(熊本、80)は、「当時は、これでも進んだやり方だったんだなぁ」と感心する。
 父がコーヒーファゼンダを営んでいたという村口ユリさん(85、佐賀)は牛車を前に、「まだ子供だったけど、これを牛が引いていたのを思い出す。ギーギーと音がしていた」と懐かしんだ。
 そこから、次に一行が向かうのは、ヴァレンサ・リオ・ダス・フローレス日伯協会(ANIBRA)。「ヴァレンサに日本人会があるの?」―と一行の中には、同地の日系社会の存在を知らなかった人も多いようだ。
 元県連副会長の天達市雄さん(74、鹿児島)も「ヴァレンサに日本人会があるなんて知らなかった」と感心した様子。「我々が予想もしないところに日本人会がありますね。こういった機会がなければ知れない、本当に良い交流」と期待していた。
 そんな中、「同地の日系社会を知ってほしかった」と笑顔で話すのは、ツアー参加者の原ルシアさん(70、二世)。同協会会長を務める大杉ジョーさん(69、二世)の従姉妹で、今回の交流の実現にも協力したそうだ。
 同協会を訪れるはずの一行のバスが止まったのは、なぜか同地の陸軍駐屯基地。訳がわからないといった顔でバスを降りた一行が案内されたのは、桜の木120本が植わった基地内の丘だった。
 実は、同地陸軍と友好関係を結ぶ同協会、10年ほど前に植えた桜の苗を育ててもらっている。そのすくすくと育つ桜を見てもらおうというのが、大杉会長のはからいだ。
 一行を出迎えた大杉会長は、「一世が少なく小さな日本人会だが、我々は日本文化を残そうと挑戦している。ぜひその活動をみて頂きたい」と日語であいさつ。
 コルデイロ・パシェコ司令官が「我々も、このすばらしい日本人会の活動を支援していきたい」と伝えた後、同協会雷太鼓の和太鼓演奏が始まった。
 気持ち良い木洩れ日が降り注ぐ下、響き渡る太鼓の迫力ある演奏に、一同は熱い視線を送った。
(長村裕佳子記者、つづく)

写真=ファゼンダの大邸宅で、当時の机の盗難防止のからくりに一同仰天