ニッケイ新聞 2010年3月31日付け
4日目に一行が訪れたリオのヴァレンサは、1950年代にスール・ブラジル(南伯農業協同組合中央会)により、サンパウロ周辺から約100家族が入植、トマト作りに精を出した土地だ。
現在、医科・歯科大学があることでも知られるこの町では医師、歯科医として活躍する日系人も多いという。
2都市の会員からなる同地の日本人会ヴァレンサ・リオ・ダス・フローレス日伯協会(ANIBRA)に迎えられ、昼食会へ案内された会場は、ドン・アンドレ・アルコベルデ教育財団の市立大学の体育館。同協会は市の協力を得て、同大学キャンパス内に事務所「日本文化センター」を構える。
会長3年目となる大杉ジョーさんは、「こんなに多くの人を出迎えるのは初めて。恥しくないもてなしをしたかった」と約40人の会員で温かく一行を迎えいれた。
同協会の創立は、2005年6月。会員は約60家族で、その中には約10の非日系家族も含まれている。そのうち、現在一世はほんの5、6人だそうだ。
太鼓演奏の発表会、ヤキソバ祭りを行うほか、日本文化祭りもすでに2度実施している。
日本語学校は、06年10月に開講し、現在約80人の生徒が通う。講師は非日系の先生1人であることから、講師不足が懸念されているようだ。
昼食会への移動前に、陸軍駐屯基地で演奏した雷太鼓は、2年前に結成された。グループで最年長の山下ウィリアンさん(22、三世)は、「12人のメンバー全員、初めての経験だった。ここでは、こういった日本文化の活動も全て初めての試み」と話す。
大杉会長は、「会を作るにも、最初は恥ずかしがって出てこなかった」と創立時を振り返り、「会では女性陣がよく活動を支えてくれている。婦人会が立ち上がったのかと思ったほどだった」と笑う。
同協会の活動に目を見張る本橋幹久団長は、「サンパウロの団体とも今後繋がりを深めていきたいですね」と声をかけていた。
会員として一行を出迎えた福島巌さん(愛媛、76)は、57年に来伯したコチア青年第8回生。同地で約30年間トマト栽培に携わった。当時、同地に入植したコチア青年は福島さんを含め、たったの2人だったそうだ。
「80年代末にトマト作りが下火になり、多かった日本人もサンパウロへと戻った。あの頃はここも日本語ばかり。映画も食べ物も、日本のものが溢れ賑やかだった」と思い出しては、穏やかな笑みを見せた。
親睦を深めた一行は、同協会会員らと手を取り合って、同ツアーコーディネーターの伊東信比古さんのハーモニカ伴奏に合わせ「ふるさと」を合唱。別れを惜しみながら、同地を後にした。
以前ヴァレンサを訪れたことがあるという浜口洋さん(65、三重)も「この町でも多くの日系人が活躍していたとは」と驚く。「それを知るいい機会だった」と、そっと旅の楽しみを噛み締めた。
(長村裕佳子記者、つづく)
写真=最後に全員でふるさとを合唱/大杉会長、婦人部長の妻さえ子さん、ツアー参加者で会長のいとこ原ルシアさん