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音楽を病魔と闘う支えに=作曲家宮下和夫さんが自作曲贈る=白血病の保科タシオ君に=アマゾン前夜祭がきっかけ

ニッケイ新聞 2010年4月7日付け

 音楽を通じた日伯交流――。2008、09年と来伯し、ピアノを演奏、コロニアに感動を呼んだ作曲家宮下和夫さんが、白血病と闘う保科タシオ君(16、三世)に「病魔に打ち克ってほしい」との願いを込め、自作曲『白いフェニックス』を贈った。昨年7月にサンパウロであった「アマゾン日本人移住80周年前夜祭」で宮下さんの音楽に触れたタシオ君は、この曲を支えに、現在もサンパウロ市内のACカマルゴ病院で闘病生活を送っている。同イベントのコーディネーターで、二人を繋いだ藤瀬圭子さんは、「病状は進んでいるようですが、曲を支えに頑張っています」と近況を本紙に寄せた。

 作曲家・ピアニストである宮下さんは宮下靖子バレエ団音楽監督として、08年ブラジル移民百周年を機会に来伯。
 昨年7月には、「サンパウロ日伯援護協会創立50周年記念事業チャリティー・ショー」(本紙主催)で、音と映像で綴る「日本のふるさとの四季」でピアノ演奏を披露、コロニアに大きな感動を与えている。
 タシオ君は、同月に開催された「アマゾン日本人移住80周年前夜祭」にトメアスー移住地から両親の保科よしのぶ・みずえさんと共に来聖。
 約250人が訪れた会場には、多くの子供たちの嬌声が響いていたが、宮下さんの演奏が始まると水を打ったように静かになったという。
 スポーツ好きで音楽に特に関心はなかったというタシオ君も、ピアノの調べに夢中になっていた一人だった。
 10月。イビウーナで行われた野球の試合でボールが顔面に当たったことから、病院での検査で白血病が判明。
 すぐにサンパウロ市内のACカマルゴ・ガン病院に入院し、キミオテラピア(化学療法)を開始したが、副作用で体はみるみる蝕まれていった。
 同イベントで企画・構成・司会を務めた藤瀬さんは、知人からこれを聞き、早速見舞いに訪れた。
 「タシオ君のことは知りませんでしたが、一生懸命、演奏を聞いていた子供たちのことは覚えていました」
 公演の感動を語る病床の少年に心を打たれた藤瀬さん。大晦日に電話を掛けてきた宮下さんに、それを伝えた。元旦に再度電話があった。「今、タシオ君に捧げる曲を作っているんだよ」
 新年早々、雪が降る京都の仕事場で書き上げた3分間の小曲『白いフェニックス』は、不死鳥のように力強く、病気と闘ってほしいとの思いを込めたものだった。
 自ら演奏、録音したCDを早速郵送したが、年始の郵便状況の混乱か、なかなか届かない。
 心待ちにしているタシオ君の健気な姿を気に病んだ藤瀬さんから経緯を聞いた映像制作会社『アステル・ド・ブラジル』の篠崎勝利社長が、宮下さんに連絡。
 インターネットでデータを送ってもらい、CDにコピー、ようやく2月にタシオ君の手元に届いた。以来、看病する母親のみずえさんとこの曲を毎日聴いているという。
 藤瀬さんは、「暇さえあれば、いつも聴いているようです。『チア、この曲はフォルサ(強さ)をくれるよ』と話していました」と3月に見舞った際の様子を話す。
 アマゾン80周年を機会に、音楽が繋いだトメアスーの少年と宮下さんの交流。宮下さんの再来伯を願っているというタシオ君の病室には、今も『白いフェニックス』が流れている――。