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ブラジルと日本のはざまで=帰伯デカセギの苦悩と決意=連載《1》=イケジマさん=再就職はブラジルで=日本に残る家族が心配

ニッケイ新聞 2010年4月7日付け

イケジマ・マサアキさんとカチイさん家族

イケジマ・マサアキさんとカチイさん家族

 一昨年来の世界金融危機の影響により、日本にいるデカセギも派遣先の工場などを解雇され、多くの困難を強いられている。その状況に対し、日本政府(厚生労働省)は昨年4月、帰国費用として本人1人あたり30万円、扶養家族には1人20万円を支給する帰国支援金制度を開始した。しかし、受給にあたっては、原則として2012年3月まで同様の在留資格での再入国を認めないという条件付き。コロニアでは「日系人を追い出す差別的措置」という批判的見方も広がり、賛否両論が飛び交った。同制度で1万4千人以上が帰国、その申請も3月5日に締め切りを迎え、申し込みが殺到したと報じられた。同制度を利用した人、利用しなかった人、帰伯者たちはそれぞれ何を考え、今どうしているのか、現状を取材した。(長村裕佳子記者)

 1993年に訪日してから、4度訪日を繰り返してきたイケジマ・マサアキさん(56、二世)は昨年10月に帰国し、現在は娘家族と共にイタイン・パウリスタに住む。
 帰国前は、8年間新潟県長岡市のせんべい工場に勤務。マサアキさんの担当は味付け作業で、たれを保存する作業室は夏になると40~50度もの暑さになったという。
 仕事を解雇されたのは昨年7月。失業保険を受けながらハローワークで就職口を探して回ったが、「日本人の就職希望者と比べられてどうしようもなかった」。他のブラジル人同様イケジマさんにとっても再就職の道は険しかった。
 非日系の妻マリアさん(50)も、マサアキさんと同じ工場で箱詰め作業を行っていたが、同時期に解雇通告を受けた。
 イケジマさん夫妻が日本にいた頃、ちょうど息子のクレヴィンさん(29)、結婚した娘のカチイさん(27)一家もデカセギで日本にいた。
 あまり貯金ができなかったと話すイケジマさんは、富山県で働いていたクレヴィンさんが不況の波で先に仕事を失い、数カ月間もの間仕送りを行っていたそうだ。
 現在、クレヴィンさんは運良く再就職先が見つかり日本に残る。しかし、「違う県にいる子供たちのことも心配だった。今は仕事があっても、またいつどうなるか分からない」とマサアキさんの不安は尽きない。
 マサアキさんの工場では約80人のブラジル人が就労していたが、そのほとんどが解雇され、半分は帰国を選んだという。
 2人も日本での生活に見切りをつけブラジルに戻ることを決意、支援金を受給した。カチイさん一家も、イケジマさん夫妻に続き昨年末に帰国した。
 「もう若くないし、蒸し暑い仕事での長時間労働で体を悪くした」と疲れた表情を見せるマサアキさん。今後、再び日本で働きたいという希望はないようだ。
 帰伯後は、日本での疲れから休養しながらも「もう少ししたら仕事を再開したい」と就職活動を考える。デカセギで日本へ行く前は、スーパーで働くことが多かったマサアキさん。再就職も、近隣のスーパーでの仕事を探すという。
 日本に居続けたいと願う同僚は多かったが、マサアキさんの知る限りで再就職先を見つけた人はなく、貯金も底をついていたという。「実際、帰国支援金がなければ帰国できない人もいた。政府から支給された額は、相当な金額。3年の入国制限があるのも妥当なのでは」と、マサアキさんは静かに語った。(つづく)