ニッケイ新聞 2010年4月28日付け
高拓生の歴史を伝えたい――。アマゾンの一大産業だったジュート(黄麻)栽培の歴史に大きな足跡を残した高拓生の子弟らでつくるパラー高拓会の小野重善会長(71、二世)が20日に来社、第1回生の到着から80周年となる来年6月にヴィラ・アマゾニアで予定されている式典、高拓生らの活動拠点だった「八紘会館」の落成式、記念誌編纂などの記念事業が現地で進んでいることを報告した。そのうえで「高拓二世、三世、ゆかりの人はアマゾンよりサンパウロの方が多い。是非とも参加、協力してほしい」と呼びかけている。サンパウロの窓口となった高拓二世の小川彰夫さんも積極的な協力姿勢を見せている。8月末、小野氏の再来聖に合わせ、会合を開く予定。高拓生を父、親戚に持つゆかりの人は小川氏(11・9631・9521)まで。
アマゾンに理想郷建設の構想を描いた上塚司(1890~1978)は現地を視察後、1930年にアマゾニア産業研究所を設立。
開拓のための人材育成を目的に、国士舘高等拓植学校(後の日本高等拓植学校)を開校し、31年~37年までに7回、卒業生(高拓生)249人を送り出した。
異なった環境に加え、永年作物が定まらないこと、上塚と高拓生らの意見の相違もあり、事業は難航を極めたが、尾山万馬(2回生)の父・尾山良太がジュートの優良種を発見したことから、高拓生らはアマゾン全域で生産、指導、販売を一手に引き受ける。
一時は、アマゾナス州の経済の35%を占める一大産業に成長したが、戦時中に同研究所や関連施設は敵性資産として政府に没収され、高拓生らは全伯各地に四散、上塚の夢も潰えた。
今も健在の高拓生は、マナウス市の千葉守(4回生)、東海林善之進(7回)、パラナ州トレド市の清水耕治(4回)の3氏のみ。
「高拓生の歴史が忘れられようとしている。我々二世も70代。何とか残していかなければ」と小野会長は力説する。
昨年9月にヴィラ・アマゾニアで行われたジュート記念碑落成式・八紘会館の定礎式で、マナウス高拓会の佐藤ヴァルジール会長、パリンチンス日伯協会の武富マリオ会長と話し合いの上、合同で事業を進めることを確認した。
第1回生48人が到着した1931年6月20日からちょうど80年にあたる来年の同日に式典が行われる。目玉事業は、文化センターとして活用されるという八紘会館の再建だ。
アマゾナス州、アマゾナス連邦大学、パリンチンス郡が支援、総費用50万レアルを見込む。
小野会長によれば、資金は目鼻がついており、IBAMA提供の建築資材が、すでにパリンチンス日伯文化協会の会館『猪股正教育センター』に運び込まれている。
「今年6月には、尾山良太の孫で、ベレン市に建設会社を持つ尾山ネルソン氏と現地に赴く」という。
今回の来聖で記念誌編纂に関する打ち合わせも行い、高拓二世である小川氏にも支援を依頼、快諾された。
小川氏は「2回生だった父・正夫からは、アマゾン時代の話を聞いたこともないが、これも何かの縁。式典には是非参加したい」と話す。
小野氏は8月末に再度来聖予定。「そのさい、サンパウロの高拓二、三世らと会合を持ちたい。サンパウロとアマゾンは遠いが、日系人が力を合わせる機会になれば」とやる気を見せている。