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「死の街道」複線化へもう一歩=レジストロ=念願の12キロ区間に=環境大臣が工事許可伝達=大統領に血判状の歴史も

ニッケイ新聞 2010年5月6日付け

 【レジストロ発】かつて「死の街道」と呼ばれたほど事故が多く、日系人が先頭に立って地元民から複線化が懇願されていたBR(国道)166号のレジストロ付近の許可がようやく下り、いよいよ工事は大詰めを迎えた。4月19日午前11時、サンパウロ州レジストロ市の国道116号線管理請負会社アウトピスタ・レージス・ビテンコウト本部の広場で、イザベラ・テイシェイラ環境大臣、サンドラ・ケネデイ・レジストロ市長、数人の州議員と連邦議員、近隣の市長、市会議員を始め約500人の市民の参加の下にIBAMA(環境院)からの国道116号線セーラ・デ・カッフェザル地点、12キロの複線工事許可の伝達式が挙行された。

 この複線工事は、地域住民の長い間の念願だっただけでなく、南米一の大都市サンパウロ市とパラナ州、サンタカタリーナ州、南大河州や隣国のアルゼンチン、パラグアイを結ぶ国際道路を旅する全ての人々の願いであった。
 1960年に開通したこの国道はサンパウロ市、レジストロ間約185キロの内30キロを残して複線となっているが、IBAMAの許可が下りず、ミラカツの丘陵地帯が単線で交通事故が多く、大勢の尊い命が失われた。
 この日の伝達式に出席した大勢の市民の中に長年国道116号線複線化運動に携わってきたラザロ・ゴーメス・ダ・シルヴァさんと近岡マノエルさんの姿があった。サンドラ市長が演説の途中で両人を紹介すると、起立した二人に大きな拍手が送られた。
 ラザロさんは1986年8月に発足した「国道116号線複線運動」グループの第1書記として初代会長の隅田弘さんや他のメンバーと共に活発な運動を実行した。
 「死の街道」の汚名を着せられたBR116の複線工事の必要性を連邦政府に訴える為に、国道の交通一時停止をしたり、パンフレットやTシャツの作成、配布をしたり、複線化運動に関する作文のコンクール等をした。交通量はどんどん増えて事故死者数もさらに増加したが、政府の理解は得られなかった。
 このグループの活動はTVグローボのファンタスチコでも放映された。あらゆる手を尽くしても政府に聞き入れてもらえない事を知ったラザロさんは、レジストロのサンジョゼ病院に行き、採血して自らの血をインクとしてジョゼ・サルネイ大統領宛に嘆願書まで送った。
 「大統領閣下、この嘆願書は人の血によって書かれてあります。この血は今まで国道116号線の交通事故で何千、何百人の数多くの犠牲者が流した血を表しています」という書き出しで始まり、同線の複線工事の重要性を切々と訴えた。
 ラザロさんらが献身的に尽くしたこの運動も資金不足と協賛者も疲れ果て、又国道の一部も複線となり1993年に消滅した。それから17年の歳月が流れた。
 そしてやっとセーラ・デ・カッフェザルの12キロの複線工事が許可された。長い停滞期を経てようやく突破口が開けた。残された18キロが複線となりレジストロ、クリチーバ間の全てが複線完了し快適な旅が出来る日も時間の問題だろう。(金子国栄さん通信)