ニッケイ新聞 2010年5月11日付け
レジストロで一夜を過ごした一行は翌朝、次の目的地イグアッペへ。同地への青年入植は60年、ピンダモニャンガーバの大谷参雄氏(コチア産組監事)がバナナ団地を作り、6人の青年を連れて入ったのが始まりだ。
バスは貞光邦夫さん(2次16回、徳島県)と大気武さん(1次9回、栃木県)が経営する農園へ到着。貞光さんと、旅行参加者の白旗諒子さん、山下重子さんとはシルバーバレーを通じた旧知の中。再会に話が弾む。
貞光さんは6ヘクタールの同農園で現在、アンスリウム(アントゥーリオ)の栽培を手がける。高温多湿で雨の多いイグアッペの気候が栽培に適しているのだそうだ。
太陽光線をカットしたハウスに入ると、赤や白など鮮やかなアントゥーリオの色が目に入る。日よけの網も「最初は貧乏で、金貯めてやっと買って」と貞光さん。
61年、18歳で渡伯。65年に同地へ入り、野菜栽培などを経て観葉植物栽培を始めた。「最初は少しずつ、だんだんと増やしてきました」。現在は週に2回、サンパウロのセアザに出荷する。
中でも、同農園で栽培する緑がかった品種は貞光さんが交配を重ねて開発した新種だ。4年ほど前から栽培しているという。「ガイジンさんは好きですね」
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サンパウロ州と橋でつながるイグアッペ。アントゥーリオを土産にもらい、島の展望台からの眺めを楽しんだ一行は、旅の最後の目的である交流会へと向かう。
会場のイグアッペ文協では同地のコチア青年や野村勝同文協会長(76、プルデンテ)、会員たちの出迎えを受けた。
同文協の会員は現在70家族ほど。この日は同地在住の青年4人をはじめ、関係者が多数訪れた。
坂東さんは「コチア青年の旅も今回で13回目。今回も44人無事に旅行しています。目的は9月の55周年式典です」と述べるとともに、イグアッペでの交流会開催に協力した貞光さん、大気さんら関係者に謝意を表した。
新留会長も関係者への感謝とともに、「イグアッペに住む4人の青年が、高温多湿の厳しい条件の中でたゆまぬ努力を続け、地域産業のため貢献していることに敬意を表したい」と述べた。ここでも55周年の式典を案内し、「皆さんを誘って夫婦同伴で参加してほしい」と呼びかけた。
続いて野村文協会長は、「コチア青年の皆さんは55年間の荒波の中で戦い、コロニア、ブラジルに貢献してきた。20歳前後で移住した皆さんも70代。体に気をつけ、コロニアの若者の指導に協力してほしい」と語った。
ここでも、マンジューバはもちろん、婦人たち心づくしの料理が並び、同地在住の青年や関係者、旅行参加者の紹介が行なわれた。
同地に住んで約50年になる大気さんは、「最初は野菜やバナナを栽培していたけど、厳しかったですね」と往時を振り返る。「サンパウロから来てくれたのは初めて。なつかしいですよ」
会場では、同地在住の青年、高橋義明さん(1次7回、岩手県)が栽培するカムカムフルーツと加工品の粉末が参加者に贈られ、テーブルにはジュースやリキュールも並んだ。
コチア青年という共通点で結ばれた絆。会話を楽しむ蛸井喜作さん(1次9回、山形県)、坂東さんたちは、「多い時は1度に100数十人来たから『見たことあるな』っていうくらいだけど、『あんた青年か? 何次何回?』っていうのは常識」と話す。「『まあ一杯やろうや』ってね」
午後3時を過ぎ、帰りのバスが出発する時間になった。見送りに立つ同地の青年、清水正登さん(1次8回、島根県)もコチアのバナナ団地に入った一人だ。
アナジアスからイグアッペに移って40年。「ムダンサの金がなかったんですよ」と冗談めかし、「青年同士の交流はなつかしいですね」と笑顔で語った。
最後は会館の前で記念撮影。一人ひとりが別れのあいさつをしてサンパウロへの帰途へ着いた。(おわり、松田正生記者)
写真=農園で貞光さんから説明を受ける旅行参加者/イグアッペのコチア青年、家族の皆さん