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継承日本語教育を残せ!=(中)=寄稿=根本的な教育の姿勢=ピラール・ド・スル日本語学校教師=渡辺久洋

ニッケイ新聞 2010年5月18日付け

 「生徒はもう3世や4世だし、家庭でも日本語を使わないから外国語教育しかできない」。日本語教師達からでさえこんな声を聞きます。果たしてそうでしょうか?
 「もう外国語教育しかできない」との言葉には、「英語やスペイン語みたいな語学学校として認識しよう」との意味が含まれているように聞こえます。
 ここで「母国語教育」「外国語教育」「継承日本語教育」の区別をもう一度考えてみたいと思います。
 「母国語教育」は、簡単に言うと日本人育成、「外国語教育」は異なる国の言語を教えることでしょう。
 もう一つの「継承日本語教育」は人によって捉え方が異なりますが、(1)日本語を教えると同時に、日本的文化・精神を伝える、(2)日本語を通じた人間育成、(3)日系人のアイデンティティーの維持(学習者が日系人の場合)ではないかと考えます。
 「日系子弟・児童対象の日本語学校」では以前は「母国語教育」を行っていました。
 そこでは「日本文化や日本的な精神」を教えて身につけさせ、日本人感覚の「立派な人間を育てる」という教育理念が存在しており、「日本人育成」という要素が強かったものの「人間育成」を意識しており、それは「継承日本語教育」とも呼べるものです。
 つまり、教授法は「母国語教育」で、教育理念は「継承日本語教育」でした。
 現在の「日系子弟・児童対象の日本語学校」の大半は「外国語教育」を行っているとされています。しかし、それは教授法が「国語教育」から「外国語教育」に変わったということです。
 では「日本的文化・精神を伝える」「日本語を通じた人間教育」という教育理念はなくなったのか? ただ日本語という言語を教え日本文化を紹介しているだけなのか? 
 そうではなく、教授法が「外国語教育」に変わっても、多くの日本語学校の教育理念には「人間育成」はまだ健在のはずです。教授法は「外国語教育」でも、教育理念は「継承日本語教育」です。
 つまり、以前も現在も日本語学校の教育理念の根幹は変わらず、同じ人間育成でも「良き日本人育成」ではなく「良き(日系)ブラジル人育成」になっただけなのです。
 この点を混同・誤解されている人がいるのではないでしょうか。
 「外国語教育」という言葉に惑わされ、イコール「語学学校」と誤解し、学校のスタイルまで変えなければと考えている人は少なくないでしょう。
 対象学習者が児童である学校には、言語以外に指導しなければいけないことがあるのです。そして、それはとても大切なことであり、とても意義のあることです。特に(2)「日本語を通じた人間育成」は、個人的には日本語を身につけることより大事だとすら思っています。大人になった時、どこに行っても、どんな状況になっても困らないように頑張れるように教育すること。自分に負けないように頑張れる人間に育てること。
 以前は、日本語教育の対象が日系子弟だけで閉鎖的であったのが、現在はこの種の学校でもブラジル社会に門戸を開き、日本語教育を行っています。
 学習者が非日系の場合、教育理念は(3)が「異文化理解」となるでしょう。非日系だからと言って決して日本語を教えるだけではないのです。
 そしてこの1、2、3の教育理念を持った日本語教育のことを「継承日本語教育」と言うのだと私は思っています。
 前回「継承日本語教育を頑張っている学校がいくつもある」と書きました。こうして考えてみると、実は児童対象の日本語学校のほとんどはまだ「継承日本語教育」を行っているのです。日本語教育を通じて人間を育てているのです。
 教育は、勉強を教え知識を与えることだけではありません。子供にとって本当に大切なこと、ためになることは何なのか。常に「20年後の生徒」にとって何が必要なのかを考えて指導する。それが語学学校との決定的な違いであり、それが「継承日本語教育」の最大の意義であると思います。
 生徒が日系であろうと非日系であろうと、時代が変わろうとも、根本的な教育の姿勢は変わるものではなく、変えるべきものではないと思っています。