ニッケイ新聞 2010年5月19日付け
当地の日本語学校は約15年前までは、多くの町のように生徒数は150人を超えていましたが、現在は66人です。
ですが、その間に日本語学校内に陸上部とソーラン部ができ、それぞれ半分近い生徒が活動し、休みの日などは大会や発表で色々な町へ行き、学校行事も増えました。人数の上では衰退ですが、内容的には盛り上がっていると言ってもいいと思います。
当地だけでなく各地で今も活発に活動し、盛り上がっている日本語学校には、どこもその理由があります。自然に学校の活動が盛んになったわけではありません。
教師、親、文協みんなが日本語学校に対して同じ想いを持って協力し、一致団結して日本語教育に取り組んでいることです。みなが損得勘定抜きに時間も労力も惜しまず出来るかぎりの行動をとっていることです。
私の学校の父母会は、地区の日本語学校の会議などの集まりや資金稼ぎの行事、その他様々な行事で食事を作ってくれたり準備をしてくれます。また陸上大会や地区行事、その他の行事のために年に何度もバスを借り上げたりするなど授業外の活動の費用が大きくかかるのですが、そのために資金稼ぎの行事を行ったり、それでは足りないので当地会館で行われる地区のカラオケ大会などの昼食作りを引き受けたりして資金を稼いでいます。
その日数は年に20日は下りません。どんなに大変だろうと忙しかろうと、教師が望む活動ができるように最大限動いてくれます。
文協も少数の個人としてでなく、会として団結して日本語学校を支えてくれています。
なぜでしょうか。「日本語学校がなくなれば文協も終わってしまう」。これまで多くの文協会員や役員の方が異口同音にこの言葉を述べているのを耳にしてきました。
そして、父母会と同じく、日本語学校の望む活動ができるように精一杯協力してくれています。そこには金銭的な負担や労力の負担も多々含まれます。
例えば、他の町で盆踊りがある時は、普通の町なら文協代表として役員が10名ほどでかけつけます。しかし、当地文協では行きたい生徒を連れて行ってくれます。しかも全て文協代表の一員としてです。
生徒・教師だけで25人近くなることも何度かあり、そのためにバスを借り上げるなど金銭的な負担は増えますが、迷惑がることもなく、むしろ喜んで連れて行ってくれます。
それは、子供達が他の町に行き交流したり踊ったりして楽しんでいる姿が見られ、それが子供の成長にとって大事なことであり教育の一環だと知っているからです。
そして、文協の半被を着て盆踊りを楽しんでいる、そんな彼らの中からこれからの盆踊りを受け継ぎ、日系社会を引き継ぐ人が出てくるかもしれないと思っているからです。
今の子供達が将来の文協をしっかりと受け継ぐのかどうかは誰にもわかりません。でも、大人や年配の方にだけ目を向け、子供達に様々な経験をさせる機会をつくらなければ、その可能性は生まれてきません。
これは将来の文協のためにもなることなのです。でも、それ以前に純粋に文協・婦人会の人達は、子供達が楽しくていい経験をたくさんして健全に育ってほしいと願っているのが伝わってきます。
また当地文協は婦人会も含め、教師をとても大切にしてくれます。日本から新しく先生が来る時は200キロ以上ある道のりを、空港まで会長や父母会会長などが必ず挨拶に行きます。迎えに行くわけではなく、ほんの数分の顔合わせのためにです。先生が日本に帰国する時も、15人近い文協関係者が空港まで見送りに行きます。それが日本語学校に勤める教師に対する彼らの礼儀なのです。
このような姿勢・協力があるからこそ、現在の日本語学校が存在しているのです。他の活発な日本語学校でも文協や親の頑張りを示すエピソードがきっとあるでしょう。周りにいて支える人が多くなれば、それだけ活発な活動ができます。
親や大人の想いが子供達の心に届くのは、「ちゃんと勉強しなさい」という言葉からではありません。その姿勢・行動なのです。
親や大人が自分のために一生懸命頑張っている姿を見れば、子供は自然にその心を感じます。その想いがきっと伝わります。
協力する文協があり、頑張っているお父さん・お母さん達がいるから教師も頑張る。だから生徒も頑張る。
そんな頑張っている生徒がいるから、文協やお父さん・お母さん達や教師も頑張る。
この四者が日本語学校に集まり、お互いにいい影響を与え合って正のスパイラル(らせん)ができているからこそ、日本語学校は活気づき盛り上がっているのです。
だから、大変でも皆が気持ちよく頑張ることができ、やりがいとも充実感とも満足感とも言えないものが得られるのでしょう。
そのような行動が各地に広まることで、結果的に日系社会の将来にもきっと良い影響が現れるのではないでしょうか。(おわり)