ニッケイ新聞 2010年5月20日付け
福博村の大浦文雄さんの講演会には、林宣義、井野一彦さんら元村長ほか、初の親子村長となった上野ジョージ現村長の姿も。記事中で紹介した黒木ふくさんの句の夫(文芸作品中では「つま」とも読む)は、ブラジルにゲートボールを初めて導入した松己さん。確かに「祖」といえる存在だ。また、初期14家族の半分以上が福岡県出身者であったことから、大浦さんは福岡の「福」と博多の「博」から福博になったと推測していたが、福岡県人会史には「裕福の『福』、博学の『博』からとった」との記述があったことも紹介するなど、興味深いエピソードいっぱいの1時間だった。
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大浦文雄さんの話の中におもしろいピアーダがあった。「欧州移民は10人集まると教会を、日本人は日本語学校を作ったが、ポルトガル移民はボテッコ(居酒屋)を作った」とのこと。なお当日紹介されたDVD「福博村75年の歩み」中、取材された人のうち6人がすでに他界しており、その分、貴重な証言集となっている。人文研(11・3277・8616、午後)においてあるので欲しい人は連絡を。