ニッケイ新聞 2010年6月15日付け
緑の党(PV)のマリーナ・シウヴァ氏に続き、12日に民主社会党(PSDB)、13日に労働者党(PT)が党大会を開き、セーラ氏、ジウマ氏の大統領選出馬を正式に承認した。12日には民主運動党(PMDB)党大会も開かれ、労働党との連立共闘とジウマ陣営の副大統領候補として党首ミシェウ・テーメル氏の承認を行った。
10日のPV党大会から1日経た12日は、PSDBとPMDB、民主労働党(PDT)の党大会、翌13日はPT党大会で、セーラ、ジウマの両大統領候補と、ジウマ氏の副大統領候補であるテーメル氏が各々正式承認されたと13、14日付伯字紙が報じた。
セーラ氏はサンパウロ州出身の68歳。父母はフェイランテで出自は貧しいが、学問の価値を知る父母の援助で大学に進み、学生時代には全国学生連盟会長も務めた。
軍政下では、身の危険を避けるために1973年までチリ、その後1978年まで米国に滞在した。米国では経済学で博士号も取得。帰国後はサンパウロ州企画局長を経て下院議員に当選。PSDB設立にも尽力し、1994年には上院議員に当選し、F・H・カルドーゾ政権で企画相を務めた。
1996年のサンパウロ市長選挙では敗退したが、1998年に再びカルドーゾ政権で保健相に就任。
2002年の大統領選でルーラ氏に敗れたが、04年にサンパウロ市長に当選。06年はサンパウロ市長を辞しサンパウロ州知事選に出馬当選。今年は知事職を辞し、再び大統領選に挑戦する。
最近浮上した機密文書問題を党大会でも取り上げたセーラ氏は、党大会は贈収賄の場でも票売買の場でもないとし、ルーラ大統領の職権乱用やメンサロン事件を批判。
民主主義は国民生活を向上させるべきもので戦略材料ではないとし、政権にこびる主要中央労組を批判。報道の自由や人権擁護も訴え、自党の清廉、潔白さやPTとの違いを強調した。
一方のジウマ氏はミナス州出身の62歳。南大河州連邦大学で経済学を専攻し、同州政府局長職を務めた時、PDT設立にも協力。2001年にPTに移籍し、03年発足のルーラ政権では、鉱山動力相、官房長官を歴任後、大統領候補として指名を受けた。軍政下ではゲリラとして武力抗争した事でも知られ、1970~72年には投獄や迫害も経験している。
国民からの根強い人気を誇るルーラ氏の支援を受けるジルマ氏は、党大会でもルーラ氏の傍らで「ルーラ政権の政策を女性の視点で前進させる」と強調。
機密文書問題については、レゼンデ社が勝手に動いたのであって自分達の責任ではないと釈明。PSDBがPT攻撃のために捏造したとのルーラ発言や、敵は毒を使ったとのジウマ発言まで飛び出した様だ。
PSDBの副大統領候補は立候補の締め切りとなる月末までに発表の予定だが、本格的な攻防戦はW杯後に始まる。