ニッケイ新聞 2010年6月23日付け
W杯南ア大会でルイス・ファビアーノが〃神の手〃を使って、テレビCMでも不可能なほど美しいゴールを決めた。あれが決勝戦の決定機に決められていれば、間違いなく歴史に残るゴールとして末代まで賞賛されるだろう▼でもあれはハンド(手を使った反則)だった。グローボの報道を見ていたら本人もはっきりと認めているし、「審判にはもちろんノンといったさ」としたたかに語っている。その様子を見て、これぞマランドラージェンだと感得した▼幼少時から社会の決まりを守らなくてはいけないと教え込まれ、そうしていないとどこか気持ち悪い風に育てられた日本人には絶対にマネのできないことだ。でも、それができることがブラジル社会で英雄になるための必須条件であることを、あのプレーは示している▼対戦相手のコートジボアールは当然、強烈に抗 議したが、審判に受け入れられなかった。その結果、プレーが荒くなって八つ当たりされたカカーが赤カードをもらって退場させられたあたり、明らかな仕返しだ▼これを見て、サッカーにおいて約束事は一つしかないと感じた。審判の判断はたとえ間違っていても絶対であることだ。手を使うことがいけないことは、審判が見ていなければOKという暗黙の了解がある以上、絶対的なルールではない▼誤審を受け入れた上で、どう反応するか。目には目を、歯には歯を。そういう〃手〃を上手と考える土俵において、ルールを厳守する者に同じ力しかなければ、勝負は限りなく負けを意味する▼日本人がそんな西洋世界でのし上がろうとするのなら、〃神の手〃をも内包した新しい倫理感が必要になるだろう。(深)