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マイリンケ文協30周年=赤塚会長「これからも歩み続ける」=会館建設、他文協との連携を

ニッケイ新聞 2010年6月24日付け

 聖南西のマイリンケ文化協会(赤塚哲夫会長)が今年創立30周年を迎え、12日、記念式典と敬老会を同市文化センターで開催した。当日は会員はじめ約300人が訪れ、功労者を称え、さらなる歩みへ思いを新たにした。

 デニス・ベネリ市長、ジョゼ・マセド市会議長、後藤猛在聖総領事館領事、木多喜八郎ブラジル日本文化福祉協会会長、山村敏明・聖南西文化体育連盟会長、ウィリアン・ウー下院議員など多くの来賓が訪れた。
 午後6時に開会後、日伯の国旗、市旗を掲揚。先亡者へ1分間の黙とうを捧げ、両国国歌、市歌が歌われた。
 続いて同文協歴代会長11人とその夫人、80歳以上の高齢者23人、同市在住で08年に「かさと丸表彰」を授賞した元同市議の松永ジョゼさん(80)、同じく市議を務め74年に58歳で亡くなった平川定巳さんへの表彰が行われた。表彰状、蘭の花、記念品等が来賓から贈られると、会場から大きな拍手が沸き起こった。
 表彰を受けた元会長の中には、「2年会長を務めたが、大変だった。でも皆さんに助けてもらい、やり遂げられた。今日これを受け取れたことは本当に嬉しい」と当時を振り返る人もいた。故平川さんの代理で出席した妻モモエさん(91)は、涙を流し舞台に上がった。
 40年代に入植が始まった同市。市内のセッツーバ、オリエンタル、ドナ・カタリーナ、市街地の4つの地区に分かれていた日本人会が、日系人の流出の影響もあって80年3月に統合され、現在の文協になった。「一緒になる前には、日本人会同士でいざこざもあった」と当時を語る人も。
 現在会員数は102家族。また、同市は73年新潟市内の繊維会社の企業誘致がきっかけで、同県見附市と姉妹都市提携を結んでいる。
 来賓祝辞、赤塚会長のあいさつの後、文協の30歳の誕生日を祝うボーロカットが行われ、北原民江師範率いる生田流正派ブラジル琴の会が筝曲、民謡を披露。ピラール・ド・スルの日本語学校生徒によるYOSAKOIソーランの迫力ある舞台に来場者は盛り上がった。
 式典後、列席者は立食形式のパーティ会場に移動し、軽食、歓談を楽しみながら、祝賀の夜を過ごした。
 赤塚会長はニッケイ新聞の取材に答え、「熟年者、功労者の方々に感謝を示すことでこれまでを振り返り、そして、これからも歩み続けていくことを確認できた」と式典の意義を語り、続けて「まずは、自分たちの会館を建てたい。そしてこれからもっと、他の文協との横のつながりを強めて行きたい」と意欲を見せた。