ニッケイ新聞 2010年6月26日付け
あの「60年安保」から50年が過ぎた。岸 信介首相が命を懸けて取組む安保改定に左翼勢力はそっぽを向き、国会周辺には学生らのデモが1日に30万人から35万人が動員され「アンポ粉砕」のシュプレヒコールが革命前夜を思わせ、暴徒ら鎮圧のために自衛隊出動の声も強かった。6月15日―デモに参加していた東大の樺美智子さんが国会近くで機動隊と衝突し死亡するという大事件が起きる▼あの日の夜。国会周辺の混乱ぶりはさながら戦争であり、機動隊が発射する催涙弾で目を開けていられなくなった記憶が今に残る。あの騒乱の時、岸首相の評判は極めて悪い。が、信念の政治家なのも事実であり、官邸に籠った首相は実弟の佐藤栄作氏と側近の保利茂氏に「ここで死んでいい」と避難勧告を拒否した話もあるし、将に日本の行くべき道を選ぶときであった▼こんな政治的な混迷を打破しようと東大の茅誠司や早稲田の大浜信泉両総長と6大学の学長らが集まり事態の収拾に動いたし、岸首相の「声なき声に」の語録もマスコミを賑わせもした。恐らく―この闘争は戦後で最も大きな騒ぎの一つだったろうし、警察当局も「共産革命」を憂慮し、そんな事態への対策について検討してもいる▼この安保改定は、旧条約より「双務性」を強め、日本の安全保障の基本となるものであり、自民党も民主党も高く評価している。但し、鳩山前総理は、現実を離れた夢の政治論であり、普天間の失敗で日米関係を危うくしたのはご存知の通りである。改定から50年を迎えた今、憲法改正をも視野にした集団的自衛権など安保の論議を深めたい。(遯)