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音楽家=パウロ・モウラ氏死去=ブラジル音楽への偉大な貢献=初のラテン・グラミー賞獲得者

ニッケイ新聞 2010年7月14日付け

 作曲家、編曲家、クラリネット兼サックス奏者としてブラジル音楽の発展に貢献し、初年度のラテン・グラミー賞も獲得した国際的音楽家パウロ・モウラ氏が、12日夜にリオ市南部のサンヴィセンテ病院で癌のために亡くなった。入院から9日後のことだった。享年77歳。13日付伯メディアが報じた。
 パウロ氏は1933年2月17日にサンパウロ州のサンジョゼ・ド・リオ・プレットの音楽一家に生まれる。10人兄弟の末っ子だったパウロ氏は、クラリネット奏者の父ペドロ・モウラやトロンボーン、トランペットを吹く兄弟たちの影響を受け、9歳でクラリネットを手にした。11歳の時に父ペドロのアマチュアバンドに参加してからは、バイレなどでも演奏を重ねていた。
 47年に家族と共にリオに移り住み、公立の音楽学校に通ってクラシック音楽を学んだ。1950年からは国営放送交響楽団の指揮者兼編曲家として世界各地を旅する一方、クラリネットやサックス奏者としても演奏を続けていた。59~77年には、リオデジャネイロ市立劇団でも活動している。
 ジャズ、サンバ、ショーロと多方面で活躍するパウロ氏は、MPBの巨匠エリス・レジーナやミルトン・ナスシメントと音楽活動を共にしたことでも知られる。また、62年にはトム・ジョビンやセルジオ・メンデスと並び、ニューヨーク・マンハッタンのカーネギー・ホールで行われた歴史的ボサ・ノヴァ・イベントに参加している。
 56年に最初のレコード「Moto Perpetuo」を出しており、09年7月に最後となるCD「Afro Bossa Nova」を発売するまで、計40枚のレコード、CDを世に送り出した。そのうち35枚は、パウロ氏のソロ演奏での収録となっている。
 2000年には、98年に手掛けたCD「Pixinguinha: Paulo Moura e os Batutas」で、創設初年のラテン・グラミー賞を受賞。08年には、CD「Para Ca e Pra La」が再度同賞にノミネートされるなど、確固とした国際的地位を築いていた。昨年中は、チュニジアやエクアドルなど国外での公演も行っていた。