ニッケイ新聞 2010年7月16日付け
この日の昼食会に参加したクリチーバ、近郊の青年・夫人らは約20人。最初から同地在住の人、サンパウロ州内に配耕後単身新天地へ移った人、パトロンと共にバタタ栽培で移り住んだ人など様々だ。
昼食会で自身の農園で作っているワインを提供した小田正人さん(72、二次六回、岡山)はカストロでバタタ栽培に従事した後、近郊のバルサ・ノバに住んで45年になる。
故郷の名から取った商標で野菜の保存食品加工などを手がける傍ら、最初からルビー種のブドウ栽培を行い、ワイン醸造を行うようになったという。「地元の人や、イタリアの大学の先生などにも習いましたよ」という小田さん。「飲むときはうちのビーニョですよ」と笑顔で話す。
「最初に入った所は、子供も日本語を話していた。日本語の通じないところに行こうと思って」と話すのは、内野四郎さん(一次六回、長崎)。ジョインビレを経て近郊アラウカリアで養鶏を営む。すでに50年が経った。「馬鹿の一つ覚えでやってきました。皆の顔が見られて楽しい」
最初からクリチーバに在住、「世間知らずで」と話す谷田部正威さん(71、二次七回、茨城)は、バタタや蔬菜などを手がけ、退職した今はパルミットの栽培や釣りを楽しむ毎日だ。今年で渡伯50年。「長いようで、過ぎると短いものですね」。陸軍にいる息子は現在、ハイチの救援部隊に参加しているという。「日本の(自衛隊)の技師とも交流があるそうですよ」
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旅行参加者の白旗信さん(二次六回、長野)、諒子さん(長野)夫妻が、同地の渡辺泰夫さん(一次十一回、山形)夫妻、本間実さん(一次九回、山形)夫妻らと話し込んでいた。「同じ釜の飯を食べた仲間よ」と諒子さん。パトロンの吉本氏(サンベルナルド)がイタチーバでバタタ栽培を始めた際、共に同地で働いた仲間だという。
「毎日家のことを全部してから畑仕事。皆そんなものだと思っていたし、仕事をしないとね」と渡辺さんの妻富佐子さん(69、山形)。花諒子さんは「パトロアがしっかりした人で、嫁を迎えるのに家財道具もそろえてくれた。嬉しかったですね」と当時を思い起こす。
「4人男所帯でね。カスカベルが多くて、いつも干したのを吊るしていた」と渡辺さん。畑の水かけを担当した白旗さんは「夜は電気のない真っ暗な道を4、5キロ歩いて畑まで行っていた」などなど、思い出話はつきない。
その後、白旗さん夫妻はイビウナ、渡辺、本間さんは吉本氏とともに近郊ガラパーバでバタタ栽培に従事し、現在も同地に住む。「仕事はイタチーバで訓練していたから、こっちへきて辛いと思ったことはありませんよ」と渡辺さんは話した。
同地の本多睦夫さんと同じ一次一回で、会場の一角で昔話に花を咲かせるのは、旅行参加者の山田貢さん(75、鹿児島)と同地在住の伊沢馗夫さん(みちは「九」に「首」)(74、徳島)。サントアマーロの配耕先は隣同士、「兄弟みたいなもの」という。
コチア青年の歴史を開いた一次一回の若者たち。先達はなく、全てが手探りだった。「辛抱しましたよ」と山田さん。
「金がなくてね。一カ月の給料でベルトと靴を買ったら足りないくらい」。唯一の楽しみは、月に一回、日曜日午後の休みに散髪し、セルベージャを飲むことだったという。「言葉がまだ分からないから、散髪に行って『コルタ・カベッサ(首切って)』と言ったりしてね」と伊沢さんが笑い飛ばす。
会場では、9月の記念式典に向け、白旗さん(式典)、前田進さん(財務)、杓田美代子さん(写真展)、白旗諒子さん(花嫁の記念文集)、羽鳥慎一さん(3世訪日研修)ら各部門の担当者が協力を呼びかけ。続いて出席した同地の青年・夫人らが一人ひとり自己紹介した。
最後に坂東さんが「わずかな時間でしたが、幸せな時間を過ごせた」と感謝のあいさつ。参加者は内野さんから卵、小田さんからビーニョをそれぞれ土産として受け取り、次の目的地ポンタ・グロッサへ向かった。(つづく、松田正生記者)
写真=昼食会に参加したクリチーバ、近郊の青年・夫人たち