ニッケイ新聞 2010年8月6日付け
東山農場農業研修生の渡伯50周年を記念した集いが7月31日、カンピーナス市の東山農場(岩崎透農場主)で開かれた。農業指導者の育成を目的として始まった同制度。推進者の山本喜誉司氏(初代文協会長)の死去により60人で終了したが、同農場を巣立った研修生の多くはそれぞれの分野でブラジル農業の発展とともに歩んできた。当日は研修生OB24人が青年時代の〃学び舎〃を訪問。亡くなった20人の仲間の慰霊、記念碑の落成に立会い、家族、関係者ら約200人で和やかな一日を過ごした。
東山農場研修生は58年、同農場総支配人の故 山本喜誉司氏(農学博士、初代文協会長)が中心となって始まった制度。同年6月に研修所が開設し、62年まで3回、計60人が渡伯した。戦後のブラジル農・水・畜産、養鶏、植林など農業技術者の育成を目的として、高校、大学で農業を学んだ人を対象としたのが特徴だ。
これまでも5年ごとの節目の年には集いが持たれてきたが、今年が真ん中の二回生渡伯50周年にあたることから、研修生全体の集いが企画された。小林雅彦首席領事、佐々木真一郎副領事、芳賀克彦JICAブラジル所長、木多喜八郎文協会長ら日系団体代表、また山本氏の時代から農場を訪れていたという植木茂彬元鉱山動力大臣や、ブラジル三菱商事の近藤正樹社長なども訪れた。
当日朝にはカンピーナス市内にある山本氏の墓を訪問。次男の坦カルロスさん(85)、孫の幹夫ジュリオさん、トシオ・ルイスさんら家族とともに黙祷を捧げた後、農場内で先亡者の慰霊ミサが営まれた。
ミサを取り仕切ったのは、第二回研修生OBでHosana教会神父の黒木常男さん(72)。物故者の名が置かれた台に一人ひとりが花を捧げた。
1927年に三菱の3代目当主岩崎久弥により、岩崎家の社会貢献事業として始まった東山農場。戦前岩手県や台湾、東南アジアにもあった農場は、戦争を経て現在はブラジルの農場のみ。戦中に接収を受け、面積は最初の3700アルケールから現在830アルケールとなっているが、今も135万本のコーヒーを栽培する。現4代目農場主の岩崎透氏(60)は、三菱創設者岩崎弥太郎の弟弥之助(二代目当主)のひ孫にあたる。
慰霊祭で透氏は「創設者久弥の遺志、亡くなった研修生の遺志を継いで、20年30年、50年先も農場を維持していくことを宣言します」と述べた。
続いて研修生を代表して二回生の本橋幹久さん(74)があいさつ。「農業を主とした移住者、ブラジルの農・水産業に役立つ人材育成を」という山本氏の構想を紹介し、「研修終了後、ブラジルの農業、産業組合躍進の時代に、それぞれの目的に沿った職場で活躍、貢献できたと自負している。大部分は家族を通じてブラジルに根を張った。その業績は引き継がれていくと信じている」と述べ、日本を送り出した両親、農場の教師、支援者、家族など、50年間の関係者に感謝を表した。
慰霊祭を終え、来賓で鏡割りを行った後、出席者は農場事務所の横に設置された記念碑へ移動し、落成式が行なわれた。
その後は農場内のレストランへ移り、記念昼食会。一回から三回までの研修生代表が記念のケーキを切り、岩崎農場主の発声で乾杯した。
豚の丸焼きや、農場内でとれた野菜などが並び、汗ばむほどの快晴の下、各テーブルで話を弾ませていた。