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日本語教師リレーエッセイ=第7回=日本語教育に対する思い=ジアデーマ天理学園=今井恵實子

ニッケイ新聞 2010年8月7日付け

 昨年5月、日本語学校ジアデーマ天理学園は創立40周年(創設は1969年2月)を迎え、数多くの昔の生徒達が〃おめでとうございます!〃と駆けつけてくれました。その昔、あの頃の学校への道は、赤土の道で、雨が2、3日降り続くと、ドロンコ道となり、人も車も、大変難儀をしました。よく通って来てくれたなぁ―。今は、子供を育てる親となり、社会で働く立派な日系人として、それぞれの立場で頑張っている姿を見て、ありがたいなぁと、感無量の日でした。
 私共の学校は、創立以来の校訓があります。毎時間出席を取ったあと、『お誓い 真実の ふれ合いのもと 互いの自主性を伸ばし 明るい教室の中で 豊かな人間性を培います』(正面の壁に、このお誓いの言葉を日伯両語で掲げています。読むのは日本語だけです)授業始めに子供たちと、お誓いのシュプレヒコールをします。
 41年目の今も、大きな声でやっております。毎時間ですので、3才の子供もイントネーションやプロヌンシアを三カ月も過ぎれば、上手に覚えてくれます。授業中は、子供一人一人の目を見つめながら、果たして私はこの子に真実のふれ合いをしているのか、これでいいのかと自問自答の毎日で、真実を押しつけたり、あるいは真実を相手に求めたりの40年間ではなかったかと今なお、反省する時もあります。しかし、日本語教師の経験なしで始めた私を支え続けてくれたのは、この校訓だったと思います。
 ブラジルに来て、バウルーからこのジアデーマ市に住むようになって今年で44年目。当初は近所の日系人に頼まれ、机、椅子、黒板も主人の手作りで、集まった18名の子供達に、日本語を教えはじめて41年になります。
 1980、90年代は、生徒数100名を超え、その頃出来た鼓笛バンドや陸上部は、創部以来30年を過ぎましたが、鼓笛の指導者も陸上のコーチも何よりも、子供達の将来を思い、体力づくりに精神づくりに、鼓笛の感性を養う上に、レベルアップにと、今も情熱をそそいでくれています。
 日本語学校の生徒数は、当時に比べると少なくなりましたが、ここ10年来、横ばい状態が続いています。授業形態は複式で、年令も分けてはいません。一番多いクラスが8名で、土曜日の成人クラスを含め、4つのクラス分けをしています。週2日制で、1回の授業が1時間半から3時間です。だから週に3時間勉強していく生徒と、6時間勉強していく生徒がいます。
 教科書・会話を中心に、CD・DVDを使った聴解・視聴覚教材をそろえ、硬筆練習・作文・絵画・今年後半からは習字の練習をと、準備中です。年の始めから、生徒達と千羽鶴を作製し、広島原爆投下65周年の空に飛ばしました。(送って貰いました)
 ある日、日本語学校の7才~25才までの生徒達に次の質問をしました。
☆どうして日本語をならっていますか。
 答え(複数回答)は、「日本の文化が好きだから」(8名)、「将来、日本へ行って勉強したいから」(4名)、「将来、日本へ行って仕事をしたいから。あるいは、ブラジルの日本企業で勤めたいから」(7名)、「自分のアイデンティティを探したいから」(1名)、「自分は日系人で日本語を話したいから」(4名)、「他の言語と異なる日本語が好きだから」(2名)、「日本の歴史が好きだから(昔、戦争に負けてもがんばったから)」(1名)
☆日本の文化って何。
 答え=車、アニメ、音楽、ケイタイ、オートバイ、新幹線、食べ物
☆日本のどんなところ(場所ではなく)が好き。
 答え=「ドロボーがあまりいない」「日本人は正直で、努力家で、インテリで、いろいろ工夫してものを作り出すことがとても上手(非日系の生徒の答え)」「ごみをところかまわず捨てない」「約束(時間etc.)を守る」「責任感がある」
 私は、このディスカッションをこのように結びました。
 日本の文化は、〃相手を思いやる〃というやさしい心から生まれていると思います。パナソニックの松下幸之助、トヨタの創業者豊田佐吉の話をしました。そして、漢字の「偏-へん」と「旁-つくり」の関係を。さんずい、木へん、耳へん、人べん。だって二つ並べて書く時は、へんは、少し遠慮して、けんかをしないようにいばってのばさないでしょう―。
 どの程度、子供たちの心に届いたか、と思いますが日本の伝統文化をベースに、将来のブラジルの国の健全な国造りのために、今、子供たちに伝えたいことは、たくさんあります。こうして日本語の勉強に通ってくる子供達の夢を叶えてあげたいし、一緒にその夢を追っかけたいと思います。

いまい・えみこ

 福岡県出身。天理教校専修科を卒業後、1966年に渡伯、結婚。1969年2月に日本語学校ジアデーマ天理学園開校(当初はジアデーマ日本語教室)

写真=5ヵ月かかって、生徒たち22名と千羽鶴を折り上げました/今井さん