ニッケイ新聞 2010年8月10日付け
文芸春秋の巻頭随筆の筆頭を飾る阿川弘之さんが、8月号で「老残の身」を哀しくも―なお元気一杯に綴っている。師と仰ぐ志賀直哉氏が晩年に「もう生きているのがいやだ」と言い「とにかく老年といふのは、実にみじめないやなもんだ」と続け(略)昭和46年、満88年8ヵ月で世を辞した先生より、私は現在十ヵ月年上になってゐるのだ。誰しもが年老いるけれども、文化勲章に輝くお二人も、どうやら老齢を歓迎してはいないようである▼直哉は「不老長寿といふ。不老で長く生きられるなら話は別だが、老いだけ残って、ただ長生きはといふのはお断りだ」と、よく言っておられた―とも阿川は筆を進める。人は生涯現役を望むが、これが難しい。歳を取るとともに仕事とも遠ざかり、家族との間も何となく疎遠になりがちである。東京で発見された111歳の加藤さんは、即身成仏を目指したらしいが、30数年も自宅の部屋に置かれ、白骨に化していた。遺族も死亡届を提出するでもなく、一緒に暮らしていたと言うから―怪奇染みている▼そんな話から調べたところ、100歳を超えた高齢者の所在がつかめない人が87人もいることがわかった。家族からも、何処へ行ったのか不明―の返事ばかりが多い。これではいけないと、厚労相が都道府県に「100歳以上の老人らと面会してほしい」と指示したそうである▼世間も―いや家族もだが、老いた祖父や祖母を大切にしないのはどうしたことか。第一生命のサラリーマン川柳に「遺産分け母を受け取る人がない」とあるそうだが、これでは何とも寂しく哀しいではないか。(遯)