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旅順丸移民顕彰する日本庭園=サンパウロ市=祖先の足跡永遠に刻む=感涙の孫、矢野春子さん

ニッケイ新聞 2010年8月12日付け

 第二回移民船「旅順丸」の移住者を顕彰する日本庭園がサンパウロ市ラッパ区に完成し、8日午前、落成式が盛大に開かれた。1910年6月に契約移民、自由渡航者など計919人が新天地の第一歩を踏みしめてから、今年で100年。旅順丸移民の氏名を刻んだ記念碑も除幕され、二世から五世まで、訪れた多くの子孫らが祖先の足跡を刻む場所の完成を喜んだ。

 日本庭園が完成したのは、ラッパ区にあるClube Escola Alto da Lapa(通称「ペレゾン公園」、住所=Rua Belmonte, 957)。旅順丸移民矢野彦次郎氏(福岡県)の孫で、7年前から地域住民と同公園の世話をしている矢野春子アメリアさん(73)が中心となって整備を進めてきた。
 午前9時から行なわれた落成式には、大部一秋在聖総領事夫妻、県連副会長の吉村幸之佐賀県人会長など日系団体代表、ラッパ地区のカルロス・フェルナンデス地区長、アナ・ルシア・バーロス同公園長、コーディネーターの中原田ルイス氏など市、地域の代表が出席した。
 レキオス芸能同好会のエイサー太鼓が披露された後、大部総領事があいさつし、「ここにいる子孫の方々、全ての子孫の真心と感謝、誇りのシンボル。祖先を永遠に顕彰するシンボルになると思う」と落成に祝辞を送った。
 矢野さん、来賓らが庭園、記念碑のテープカットを行い、新たな庭園の誕生を祝った。長崎の原爆犠牲者への慰霊のラッパが軍警儀仗兵によって鳴らされ、続いて旅順丸百周年記念の幕を下げた風船が空に舞い上がると、大きな拍手が上がった。その後は生長の家コーラスによる「渡伯同胞送別の歌」なども披露された。
 その後、神式の祈祷に続き、庭園に隣接した遊歩道、向かいに作られた「枯山水」の庭園のテープカット、池への錦鯉放流も行なわれた。
 旅順丸移民の氏名と感謝の言葉が刻まれたプレートを前に矢野さんと、彦次郎氏の息子、スエオ・フランキさん(81)が並ぶ。春子さんは、先人の苦労を偲び、「子供を勉強させ、豊かになり、ブラジルを我が国として懸命に働き、日本人は真面目でよく働くと皆に感謝されるようになった。笠戸丸、旅順丸、その後に来た人たちは涙を我慢し、私たちにすばらしい歴史と遺産を残してくれた。深く深く感謝します」と涙ながらにあいさつした。
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 「枯山水」を寄贈したのは、旅順丸移民杉本ノリオ氏(熊本)の子孫でginko造園会社を経営するケンジ・スギさん(四世)。この日は杉本氏の娘、前田ミツコさん(93)と娘のハルミさん(69)、マユミ・シルビアさん(62)、五世代目の子供まで一家で出席した。
 サンパウロ州ボツカツで生まれたミツコさんによれば、一家はコーヒー園での仕事などを経て20年ごろプロミッソンに移り、コーヒー栽培、その後は縫製業などを営みサンパウロへ出た。コーヒーでは優秀品の表彰を受けたこともあったという。
 この日、矢野さんらと庭園のテープカットをしたミツコさんは、両親らの歩みを振り返り、「私の年まで生きている人は少ないですね」と話した。
 娘のハルミさんは、「祖先の努力と献身が実を結んで今の私たちがある。感謝と幸せな気持ちでいっぱいです」と喜びを語った。
 矢野ヒロユキ・ヴァルテルさん(68)の父ヒデオ・オズワルドさん(故人)は、1910年に旅順丸移民で最初に生まれた男の子だったという。「今日の私たちがあるのは彼らのおかげ。感謝しています」と語った。
 落成式後、午後からは公園内に設置された会場で「民族祭(Festa das Nacoes)」が開催された。日本食やドイツ、ポルトガルの料理などが販売され、太鼓やピアノ演奏、舞踊などが舞台を彩った。当日訪れた旅順丸移民子孫が一堂に集まって記念撮影も行なわれ、会場は和やかな雰囲気に包まれていた。