ニッケイ新聞 2010年8月25日付け
初入植から半世紀を迎えたパラグアイ最大の日系移住地ピラポで「入植50周年記念式典」が今月2日に開かれ、約1200人が出席した。渡部和男・在パ日本国大使、JICAパラグアイ事務所の北中眞人所長、イタプア県のホアン・アファラ知事、地元関係者を始め、多くの県人が移住した高知、岩手両県からも慶祝団が駆けつけ、共に節目を祝った。式典に先立ち慰霊祭も営まれ、開拓先亡者の冥福も祈った。
戦争で中断されていたパラグアイへの移住は1954年に再開され、56年には移住新興会社アスンシオン駐在事務所、翌年には海協連パラグアイ支部が設置された。
すでに設けられたチャベス、フラム(現ラパス)移住地が満植状態となったことから、ピラポ移住地の造成が始まった。60年8月2日に第1次26家族が入植。
65年までに28次331家族1777人が入植した。現在は約220家族1200人が住む。小麦、大豆が主な農産物。同移住地は南東部イタプア県に位置する。
式典に先立ち、「拓魂碑」の建つピラポ霊園で慰霊祭が行われ、移住地を代表し、工藤好雄ピラポ市長、水本諒一・日本人会長、高橋幸夫・農協組合長がそれぞれ献花、先没者に対し追悼の辞を述べた。
来賓の多くが出席、開拓半ばにしてピラポの礎となった先駆者の冥福を祈った。
午前10時から市役所体育館で始まった式典では、渡部大使、アファラ知事、小田俊春パラグアイ連合会会長、高知県議会の溝渕健夫議長、岩手県庁の加藤主税政策地域部長ら来賓がお祝いの言葉を述べた。
ピラポ市長でもある工藤祭典委員長は、「日本の協力もあり、移住地がパラグアイの発展に寄与できたことが誇り」と挨拶した。
続いて、市の中心にあるロータリーに建設された「入植50周年記念碑」の序幕式もあった。
祝賀会では、岩手の鬼剣舞やパラグアイの民族舞踊がステージで披露された。来場者らはピラポ移住地の発展を祈りながら、乾杯の杯を重ねていた。
なお、記念相撲大会も開かれ、日本、ブラジル、パラグアイの力士らが常設の土俵で熱戦を見せ、観客からは声援が送られていた。
62年に14歳で移住、親戚が現在も同地に住むブラジル都道府県人会(県連)の園田昭憲副会長も出席した。
「当時は全くのジャングル。現在のように発展するとは思わなかった。大農場も多く、生活レベルも高い」と感慨深げ。 県人同士の交流もあり、お祝いに駆けつけた岩手県人会の千田曠曉会長は、「戦前のブラジル移民のような開拓の苦労をされて現在を築かれた歴史を強く感じた」と印象を話した。