ニッケイ新聞 2010年9月17日付け
島田正市さんの芸能生活60周年を祝う公演で、山下譲二文協副会長が感謝プレートを渡しながら、「音楽を通して二世に日本的な情緒を伝えつづけてきた」との功績を称えていたが、まったく同感だ。日本語をしゃべらない世代であっても歌謡曲は懸命に歌う。音楽は日本的感性を若者に血肉として伝える強力な手段になっていると常々感じる▼「あれが日本文化か」とバカにする声も聞く。だが日系子弟の日語学習者減少、日系団体弱体化が叫ばれる昨今のコロニアで、カラオケに代表される歌謡文化すらなくなったら、さぞや寂しいことだろう▼戦後60年代中ごろまでの日語ラジオの、一番の人気番組はノド自慢であった。最新歌謡曲のレコードをサントス港に到着した移民からいち早く入手し、各ラジオ局は争ってかけた。奥地では一週間も遅れた新聞と違い、ラジオは生の情報を伝え、切ないメロディを電波にのせた。畑仕事や家事のかたわらラジオに耳を傾けて、若者は日本的情緒を自然に身につけた▼日語放送が禁止になってラジオが廃れ、70年代~80年代に日系テレビ番組全盛期になっても歌番組は大黒柱でありつづけた。外国語を番組中にしゃべることは禁止されたが、なぜか歌は許されたからだ▼80年代以降、テレビの歌番組とカラオケ大会によって二、三世層に日本文化が広まった部分は大きい。そんなコロニア芸能界において島田さんは屋台骨のような存在だろう。北パラナから全伯に広まってきたマツリダンスも、カラオケと盆踊りが合体した新日系文化だ。今後もこの歌謡文化という土壌から新しい何かが生まれるに違いない。(深)