ニッケイ新聞 2010年9月21日付け
60周年も元気で会おう――。戦後最大の独身青年移住事業「コチア青年移住」が一次一回の渡伯から55周年を迎え、19日、青年花嫁移住51周年とあわせサンロッケ市の国士舘大学スポーツセンターで記念式典が挙行された。コチア産業組合と日本全国農業協同組合中央会(全中)の業務提携により開始、1955年から2508人が渡伯した同事業。当日は国内各地で暮らす青年や夫人・家族をはじめ600人以上が節目の式典にかけつけ、会場の各所で数十年ぶりの再会を喜ぶ人たちの姿が見られた。
戦後日本の復興期に、農家の二、三男対策と後継組合員の育成を目的に始まったコチア青年事業。55年9月15日にサントスへ到着した一次一回109人の若者を嚆矢に、一・二次計51回、12年にわたって実施され、農業はじめ様々な分野でブラジルへ根を張った。
青年の花嫁は59年4月のあめりか丸で海を渡った12人に始まり、400人以上が移住。青年とともに新天地での生活を切り開いてきた。
富士山を象った花が舞台正面を飾り、舞台後方には同事業の生みの親、下元健吉コチア産組専務理事と全中の荷見安会長、産組で青年の世話をした山中弘移民課長ら恩人の写真が並んだ。
式典に先立って午前9時から先人の慰霊法要が営まれ、イビウーナ日伯寺の櫻井聡祐主任開教使の読経の中、参列者一人ひとりが献花した。
記念式典には、大部一秋在聖総領事夫妻、青年飯星研氏の息子の飯星ワルテル伸次連邦下議はじめ日系政治家、主要日系団体の代表などが多数来賓として訪れた。
白旗信実行委員長の挨拶で開会。新留静コチア青年連絡協議会長(式典委員長)は、苦難苦渋を超えて55周年を迎えたことを喜び、「仲間に心からおめでとうと言いたい」と挨拶。雄途半ばで倒れた仲間を偲び、関係者へ感謝を表すとともに、長年青年を支えた花嫁たちに「この機会に2508人の仲間を代表して全ての愛妻に感謝の言葉を送りたい。これからも豊かで楽しい人生を送ることを切望します」と述べた。さらに、「これからも協議会活動を通じてブラジル社会の発展に寄与し続けたい。健康を大切に、5年後の60周年で再会を果たしましょう」と出席者へ呼びかけた。
大部総領事は、戦前日本移民と同様に、青年の農業への貢献、各地の婦人会活動に見られる夫人の貢献、子弟教育への努力を「日本人として誇りに思う」と賞賛し、「青年55周年は偉大な歴史。先人への哀悼とともに、青年、花嫁に最大限の尊敬の意を表したい」と述べた。
その他、青年を受け入れたパトロンを代表して西村定栄さんも挨拶し、青年、花嫁の苦労をねぎらった。
式典委員会から山中移民課長の妻キクさん(100歳)、移民課職員として青年受け入れに携わった藤田繁さん、元連絡協議会長の高橋一水、山下治両氏に感謝状が贈られ、飯星連議の母良子さんが表彰された。
代理で受け取った飯星連議は、仕事と子弟教育に献身した父の姿を振り返り、コチア青年のブラジル社会建設への貢献に謝意を表した。
山下元会長の発声で万歳三唱。式典終了後は敷地内の記念碑そばに総領事夫妻、一次一回の青年、最初の花嫁らが桜とイッペーの苗を植樹し、一同で記念撮影。会場でケーキカット後、南雲良治監事の発声で乾杯し、祝賀昼食会へと移った。
コチア青年の肥後秀樹さんが経営するブッフェの料理が並んだ会場では、イビウーナ龍舞太鼓の演奏、剣道演武など青年の孫らも出演して各種のアトラクションが披露された。一次一回の荒木滋高さん(ブラジリア)作詞作曲の「コチア青年鶴亀音頭」合唱、青年の樋口四郎さんによる浪曲などもあり、夕方まで賑わいを見せた。
「よくここまで来た」=最初の青年と花嫁
式典ではまた、一次一回の黒木慧さん(75)、第一回花嫁の芦川道子さん(75)がそれぞれ代表で挨拶した。
「あれから55年。色々な事があったが、よくここまで頑張ってきた」と感慨を表した黒木さん。「終戦から10年の日本は混沌として、若者が夢をもてない時代だった。そんな時に夢を与えてくれたのがコチア青年事業。開拓魂で苦労とは感じなかった」と往時を振り返り、「愚痴も言わず働き、子育てを頑張ってくれた」夫人に感謝した。
「例外を除いて金儲けはできなかったが、子や孫が大きな財産だと思う。支えてくれた皆さんに感謝し、志半ばで亡くなった友の冥福を祈り、今病気で苦しむ仲間に励ましの言葉を送りたい」と語った。
第一回花嫁12人の一人として海を渡った芦川さんは「長い道のりを手を取り合ってきた。今は大声で空に叫びたい気持ち」と喜びを表した。
「戦前戦中戦後の動乱の中で自然と鍛えられたことがブラジル生活にも役立ったと思う」と話し、人夫にトマトの値段を言い間違えて笑われたことなど異国での失敗談も紹介。「今も珍道中で皆の笑いを誘っていますが、青年家族がこれからも健康に気をつけ、親睦を続けられることを願います」と話していた。