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2010年=全伯日本語学校生徒作品コンクール=6部門に2106点集まる=6州86校の1074人が応募

ニッケイ新聞 2010年9月24日付け

 ブラジル日本語センター(谷広海理事長)は2010年度全伯日本語学校生徒作品コンクールを開催、今年は1074人が参加し個性豊かな2106作品が集まった。6部門にはそれぞれ、作文207点、書道332点、条幅78点、硬筆645点、絵画706点、まんが・アニメ138点。パラー、ペルナンブッコ、サンパウロ、パラナ、マット・グロッソ、リオ・グランデ・ド・スル6州27地区より、初参加の6校を含む86校から応募された。本特集では、各部門優秀作品の一部を紹介する(作文は原文のまま)。

作文部門

才能より努力=E組金賞鐙野 獅珠雄

 故郷が小さくて貧乏な町で、普通の人より少し優れた能力があるから有名人になり、全国民の英雄になった人。ブラジルではよくあるパターンです。特に、サッカー選手の中で。ブラジルのワールドカップ選抜チームのほとんどの選手は昔、貧乏人だった人です。でもサッカーの才能があり、それを開花させ、いいチームに入り、有名人になった人ばかりです。その中の一人、特に尊敬するのが、今や世界的に知られているブラジルのKAKA選手です。
 KAKA選手はとても貧しい町で生まれました。そして物心がついた頃には自分が他の人よりサッカーが上手だって事に気付きました。両親が苦労しているのを見て、絶対にいいサッカー選手になり、お金いっぱいもらって親に楽をさせるぞ!と決心したけど、やはりプロの道はそう甘くありません。あるチームに入り、クビになり、また別のチームにやとわれ、またクビになる。それを繰り返していく内に自分が本当にサッカーの才能があるのか?サッカーをとったら、何が残る?と自分をせめていました。色んな仕事をやってみたが、やはり自分にはサッカーしかない!と決めてもう一回頑張ってみました。おかげで今はとてもいいチームにいて、とてもいい給料をもらっています。
 もう一人、僕がとても尊敬するのが百メートル走、二百メートル走、そして4×百メートルリレーの世界記録保持者のジャマイカのウザイン・ボルト選手です。ボルト選手も並の人より少し足が速いだけの黒人で、貧乏でした。でもそのわずかに速い足を磨き上げて、きたえて、それで生活ができるようになりました。そして急に全世界にデビューして、伝説を作りました。陸上で一番目立つ種目、百メートル走の記録を破り、それだけでは満足せず、二百メートル走、そして4×百メートルリレーの記録も破りました。しかも三つとも同じ大会で破ったかいきょをなし遂げた、まさに超人です。
 KAKA選手、そしてボルト。二人とも違う国、そして違う競技で戦ってきたけれど、共通点があります。二人共昔は貧乏でした。でもひるまずただひたむきに頑張ってきた人達です。勿論、才能もあったけど、それに伴う努力が必要でした。僕にとってこの二人は目指すべき存在だと思います。どんな人でも、頑張り続けていれば、いつかきっとその努力はむくわれます。自分には無理だ、駄目だ、と考える人はよくいますが、それは違うと思います。自分が「駄目だ」と思ったじてんでおわりです。だからいつも上を向いて歩きます。僕の先生がいつか言った言葉を思い浮かべながら。
「努力は絶対に自分を裏切らない――。」

「私の好きなバンド」=E組金賞 上村 はるみ

 二〇〇八年の紅白歌合戦で、私は初めていきものがかりと言うバンドに出会いました。
「桜、ひらひら、まいおりて落ちて・・。」
とテレビの放送からながれて来ました。その曲は、やさしくて強くて、そして切ない歌なのです。その曲は一人の女性が電車の中で、昔大切な人と過した日々と春の卒業式に分かれたことや思い出を語ります。その名前の歌は、「SAKURA」と言います。多分、春と言えば桜の花なので、そういう名前になったと思います。その曲は、どんなにはなれていても大切な人はやっぱり大事なものだと言うことに強く伝えるので、すごく感動しました。
 いきものがかりと言うバンドは、三人のメンバで、一人は歌う人の女性と二人男性が楽器をひくのです。なぜいきものがかりと言う名前をバンドにつけたのだろうと考えながら私はインタネットで探してみました。その名は男性二人が学校時代に、動物の面どうを見る係だったそうで、そのことで「いきものがかり」とつけられたそうです。
 私がこのバンドの好きなところと言えば、女性の強い声といいことをおしえてくれることなのです。
 去年の紅白歌合戦にもいきものがかりが参加すると私が知った時、とても嬉しかったのです。どんな歌を歌ってくれるのだろうと考えながら楽しみにしていました。
 紅白歌合戦当日、家族全員でテレビを見ていました。私は、いきものがかりの出番を待っていました。
「もうすぐかなあ・・・どんな歌を歌うのかな 
 あ・・・まだかなあ・・。」
と私は他の歌手の歌を聞きながら、言いました。
「落ち着け。もうすぐしたらいきものがかりの出番だと思うから。」
と兄は私を少し落ち付けるように言ってくれました。そして待ちに待った、いきものがかりの出番が来ました。そしてその歌は「YELL」でした。その意味は応援なのです。曲が流れてくたび、なみだがとまらなかったのです。その曲には「さよならは悲しい言葉じゃないそれぞれの夢へと僕らをつなぐ「YELL・・」
と語った時、今年、自分が中学生を卒業をすることを思い出しました。今まで近くにいた友達が遠くにいってしまうなのです。そのことで、いきものがかりと「YELL」と言う曲は、私にとって大切なものになりました。
 歌って言うものは、はげましたり、楽しくしたり、なつかしく感じたり、と「いろんな気持ちを伝えます。これからも、私はいきものがかりの歌を聞きながら、どんな時ものりこえたいのです。

「太鼓の達人」=E組金賞 菊地 天斗

 僕の大好きな有名人はぼくがだいすきな太鼓を、わざわざ日本からブラジルに来て教えてくれた人です。わたなべ先生と呼びます。世界中の太鼓の達人です。ブラジルだけでなく世界中に太鼓を教えています。だから有名人です。それだけではありません。わたなべ先生は天の邪鬼のメンバーです。天の邪鬼は日本の最もすごいグループの一つです。
 わたなべ先生はブラジルに今まで四曲を教えてくれました。BTBとけんかやたいはブラジル全国の太鼓グループで発表などによく使われています。もう一つは絆です。ブラジル日本移民百周年記念曲です。その曲は二千八年にサンボードラモで一千二百人ぐらいで発表した。それはものすごい発表だった。僕もその一千二百人の一人だった。そんなにすごい発表をするためにはいっぱいグループを集めて、きびしい練習が必要だった。きびしかったが、いろんな場所で練習したし、友達もいっぱいできた。残念ながらわたなべ先生はそれらの練習には行けなかった。なぜかというと、もう日本に帰ったからです。でもサンボードラモの発表の日は来てくれた。その前日に天の邪鬼の発表もありました。ぼくは太鼓のすばらしさをよく感じました。一時間の発表でもみんなまだがんばっていました。僕はそんなに長い発表はたえられません。そしてサンボードラモの発表後、先生達の「答え」が出ました。前はみんなリズムが悪くて発表できないと言ってましたが、本当にすごい発表だと言いました。そしてみんなに百二十点をあげました。ぼくは本当にうれしかったです。いっぱい泣きました。でも僕だけでなくみんないっぱい泣いていました。それは「感動の涙」です。
 先生は絆の曲名の意味も教えてくれました。それはどんなにブラジルは日本まで遠くても友情がある事です。千九百八年、ものすごい数の日本人がブラジルに移民してから百年、日本人達はブラジル人達と仲良くなりました。その絆の百周年を記念にその曲を作ったのがわたなべ先生です。
 そして最後の曲は「祈り」と「ブラジル太鼓オーケストラ」です。その祈りは歌です。先生は最近亡くなった父母への想いをその歌にしました。その歌について先生は教えてくれました。母と父の大切さを。その後は、いっぱい元気があるブラジル太鼓オーケストラです。
 最後に、先生の教え方を言います。先生はすごくきびしいです。きびしすぎて泣く人もいます。でも本当はやさしい人です。先生はみんなよく覚えるためにきびしく教えます。わざわざ日本から来て日本伝統文化をやさしく教えてくれるのがわたなべ先生です。

僕の新しい自転車=D組金賞 佐藤 豪

 僕はブラジル学校の授業が終わってから弟といっしょに自転車で家に帰るとちゅう、いつものように家に電話をしました、ふつうは連絡してへんじがくるとそのままきって家に帰ります、でも今日は。
「つよしちゃんあなたは、そこでお父さんが来るまで待ちなさい、そしてすぐるちゃんには帰るように言いなさい。」
 かわったへんじでした。
 僕はゆわれたようにしました、でも少しこわかったです。なぜなら僕の学校の点数はそんなによいものでわありませんでした。
 父が来ると僕は自転車を車にのせ車にのりました、するとおばあちゃんもいました、父はおばあちゃんの前でわおこりません僕は少しほっとしました。
 すると父はこう言いました。
「つよしちゃんはいつもいい子にしているから。お父さんからのプレゼントだよ。」
 僕はなにがなんだかなにもわかりませんでした。
 そして着いた所は自転車屋さんでした、そして父は言いました。
「さあ、つよし好きな自転車をえらびなさい、一台買ってあげるよ。」
 僕はびっくりしました、なぜなら一年も前から僕はあたらしい自転車をほしがってたからです。
「よかったねーつよしちゃんこれからもがんばるのよ。」
 おばあちゃんも喜んでくれました。
 僕はぞくぞくしながら自転車をえらびました。
 えらんだあと店の人は三日後家に届けると言いました。
 僕は家に帰ってお昼ごはんを食べました。
 三日後の午後店員は僕の自転車を持ってきました、自転車を家の中に入れたあと父におれいを言いました。
 僕はすごく嬉しかったです。

私は私で、それでしあわせです=D組金賞 太田 えみ

 私は一人でいることが好きです。自分とはなしをしたり、自分の思うものを大ごえで言ったり、だれも聞かなくてとてもきもちいいです。だれもじゃまをしないで、自分の好きなことをして、とても好きな時間です。
 おともだちはほとんど一人でいるのが大きらいですが、私にはかまいません。それはどうしてでしょう。
 小さい時、私はともだちがなかった。なぜかしりませんが、ほかの子どもが私とはなしをしなくて、私はいつも一人でした。小さい時にはいとこだけが友だちで、今までも私のベストフレンドです。
 いつも一人でもしあわせでしたが、二年前からずっと友だちをつくったり、今はもっとしあわせです。でも一人でいれば大丈夫です。もう一人でいることがなれた気がして、こどくってぜんぜんこわくないものです。
 何でもはなせるベストフレンドは今でもありませんが、それでいいです。私はだれにも言いたくないものもいっぱいありますし、だれにも言えないとどうして言わないかかんがえなくてもいいですから。
 私の好きなものはほかの十二才の女の子とぜんぜんちがいます。ポケットモンスターが大好きで、アニメソングも好きです。ルージューなどをつかうのがだいきらいで、じてん車にのることが好きです。
 わたしは歌が大好きで、どこでもなんでも歌います。おどりも好きで、いつもおどっています。
 私にとってかぞくはいちばんたいせつなものです。かぞくの一ばんにぎやかなホリデーは正月で、みんなであそんだり、しょくじをしたり、はなしをしたり、とてもたのしいです。イスターにもあいますが、やっぱり正月はちがいます。
 私はへんな女だと言われますが、ほかの人の言うことを聞かないで、自分で自分の好きなことをしたり、好きな歌を歌ったり、自分のしあわせにむかって、自分の道をあるきたいです。私は私で、私のしあわせは私のしあわせで、それでいいでしょう。

おじいちゃんの家に行って=C組金賞 佐藤 すぐる

 おじいちゃんの家に着いた時、車からおりて、犬達を見に行きました。
「おばあちゃん、この三匹の犬どうしたの。」
 と、聞くと、
「ああその犬達はドーラルが生んだんだよ。」
「そして、ドーラルは。」
「死んだよ。」と言ったのでがっかりしました。
 次は、ぶたを見に行きました。ちょうどおじいちゃんが、えさをやってたので、手伝いました。えさをやったあとすぐ近くにあるれんこんの池を見に行きました。れんこんの大きな葉がたくさんありました。魚もいました。魚を見ていると、ポツ、ポツ、ザー、と、雨がふりはじめました。
「走れえ、雨だあ。」
 僕と弟達は、走って家の方へ行きました。
 びしょぬれな、僕達は、お父さんと、いっしょにおふろに入いりました。
「ああ、いい気もちい。」
 つめたい雨でぬれたあとのおふろはいいですよねえ。でもみんなが入いると、せまかったので、僕は出ました。
 おふろから出て、てるてるぼうずを作りに行きました。
「明日は、はれますように。」
 と、言って作りましたが、寝ている間、てるてるぼうずが、ふりふりぼうずになりました。次の日は、楽しみだった、つりも雨のせいで、だいなしです。でも、夜、プーンと、ぶたの肉をやいたにおいが、僕をひっぱっていました。夕ごはんに食べたのは、ぶたのやいた肉、舌、耳などがありました。それを、みそにつけて食べたら、口に広がり、すごくおいしかったです。
 おじいちゃんの家に泊まってる間、大豆のしゅうかくやとうもろこしのしゅかくを見て、おじいちゃんはたいへんだなあと思い、いなかの生活を体験することが、できました。

雨あがり=C組金賞 伊東 あかり

 夏休みのある日、家の中でゲームばかりしていた私にお母さんは、しかりました。
「こら、ゲームばかりしていないで、犬と散歩でもしに行きなさい、あなたの犬でしょ。」
 そういわれると、
「何んで私が行かないといけないの。」
 と言いました。
 お母さんがつぶやくのを見て、しょうがなく愛犬のビビちゃんに首輪をはめて、アパートを出ました。
 とちゅうで、ペットショップにより、ドッグフードを買って、近くの公園であそぶことにしました。
 おもいっきりあそんだあと、空を見上げると、天気が悪くなってきたことに気がつきました。
「雨もふりそうだし、そろそろ帰ろうか。」
 と、思ったしゅうかん、雨のしずくがだんだんと強くなってきたので、ビビちゃんがぬれてさむくならないようにかかえて、やしの木の下でやむのを待つことにしました。
 ビビちゃんがふるえているのを見て、
「はやく雨、やまないかな。お母さんもしんぱいしているだろうし。」
 と思っていたら、雨が少しずつ弱くなってきたので、ビビちゃんを、おろして、走って家へむかいました。
 ペットショップの前で一休みしてから帰りました。
 びしょぬれになって帰ってきた私とビビちゃんを見たお母さんは、
「かぜをひくからはやく中へはいりなさい。」
 と言ってくれました。
 あとで、ぶじに帰ってきた私たちを、お母さんは、いっぱいほめてくれました。
 雨あがりの待ち遠しい一日でした。