ニッケイ新聞 2010年9月25日付け
明治24年(1891)に大津事件が起きた。滋賀県警の津田三蔵が腰のサーベルを抜きロシア皇太子ニコライに斬り付け9センチの傷を負わせた事件である。明治天皇が京都まで赴き陳謝するという日露外交にまで飛び火したが、津田三蔵の処罰を巡り松方正義内閣が「死刑」を求めたが、大審院(最高裁)の児島惟謙院長は拒否し司法権の独立を守り、無期懲役とした話は今に語り継がれる▼戦後の食糧不足のとき、幣原内閣の蔵相・渋沢敬三は昭和20年10月、米のUPに「21年以内に一千万人が餓死する」と語り国際的な話題になる―それほどに食べる物がなかった。そんな苦境のなかで東京地裁の判事・山口良忠は、ヤミ米を買うのを拒否し、配給米は子供らに食べさせ、自らは粗末な食べ物で栄養失調になり、肺浸潤で死を迎えた▼餓死である。これをスクープした朝日新聞は「判事がヤミを拒み、栄養失調で死亡 遺した日記で明るみ」と報じ、読者らは涙を堪えながら記事を読み耽った。昭和22年10月のことであり、山口良忠は33歳。遺書には「食糧統制法は悪法だ。(略)自分は苦しくともヤミ買出しなんかはやらない。(略)自分は統制法の下、敢然とヤミと闘って餓死するのだ」と記している▼児島惟謙も山口良忠も司法の尊厳と独立に命を掛けて闘ったのであり、このお二人には誰しもが黙って頭を下げる。ところが、大阪特捜部の前田恒彦検事は、押収資料改竄の疑いで逮捕されるという醜態である。こんなに検事の倫理観が低下し地獄まで落ちたのでは、もう検察は正義―は、とてものほどに信じ難い。(遯)