ニッケイ新聞 2010年10月9日付け
「なぜ日本で上手くいかなくて、ブラジルに帰ったら上手くいくのか?」。帰伯子弟向け支援事業「カエル・プロジェクト」の主宰者・中川郷子さんは真摯にそう問いかける。08年末からの金融危機で6万人以上の在日ブラジル人が帰伯したが、その中には1万人前後の学齢期の子供も含まれていると推測されており、非営利団体ISEC(文化教育連帯学会=吉岡黎明会長)が実施している同プロジェクトの調査結果などによって、彼等の厳しい現実が明らかになってきている。帰伯児童生徒はちゃんとブラジルの公教育を受けているのだろうか。中川主宰に帰伯子弟の実態を尋ねてみた。
「子供たちの表情が暗いと、プロジェクトの先生方が言うんです。例えば色鉛筆で絵を描かせるんですが、白黒とか僅かな色しか使わない」。中川さんはそう心理科医らしい指摘をする。
当地では極彩色で描く子は少なくない。一般に日本の子供よりもさらにコントラストの強い色使いをするといわれている。だが、帰伯子弟の心のあり様は逆にモノトーン(単色)の世界で、家族などの人間関係のストレスやひずみが伺われるようだ。
同プロジェクトでは、文協ビル内で週3回のポ語無料教室や、帰伯子弟が通う公立学校への心理カウンセラー派遣などの支援活動を続けている。
今回の金融危機がもたらす問題の特徴は、それまで家族一緒に日本で暮らしていたが、父親だけ残して帰伯してバラバラになったことに起因するケースが多い。「母親と子供だけで帰伯してきたが、2~3カ月して日本の父親と連絡が取れなくなり経済的に困るという事例もあります」。
08年以前と違う点として、次の傾向を挙げる。「昔は、子供だけ残されたが最初から貧しかったから贅沢は考えなかった。今回帰ってきている子は、日本で生まれ育って、あちらの生活レベルに慣れているから、こちらでもモノを欲しがる。連れてきた父親だけ先に日本に帰って、お金ほしさに売春に走るケースまであった」。
同プロジェクトが08~09年に実施したサンパウロ州公立校318校への帰伯子弟調査で、606人(18歳まで)が転入していることが確認されている。うち246人が日本生まれで、ブラジル生まれだが8歳までに訪日した子が278人に達し、日本で人格形成したと思われる子弟は、実に全体の86%にのぼる。
実際にアンケートに回答した440人のうち、ポ語のみ話すのは309人(70%)、日ポ2言語は89人(20%)、日語のみ話すのは39人(9%)にもなる。
日語しか分からなくても、サンパウロ州立校には特別配慮や待遇はない。「先生もどうしていいか分からず、自然に覚えると考え、教室のすみっこに放っておいているケースがかなりある」と中川さんは心配する。
金融危機で欧米から帰国した子弟もかなりいる。「例えばスペイン語をしゃべるボリビア人の子供でも〃言葉の壁〃があるから大変だという。それなら全然違う日本語ならどんなに大変か、先生自身よく分かっていない様にみえます」とも。
その結果、「日本語もポ語も中途半端になっている子供がどれだけいるか、つかみ様もありません・・・」と肩を落とす。
中川さんは17日から訪日し、三井物産などの支援により、茨城、滋賀、静岡、群馬、愛知、岐阜などで同プロジェクトの現状に関して講演して回る予定。