ニッケイ新聞 2010年10月16日付け
「JICA派遣生徒本邦研修がなくなるかもしれない」との噂を聞いた時、寂しさと共に自分の無力さを実感しました。もちろん、現段階ではあくまで噂であり、そうなって欲しくないという意味で、私なりの意見を書いてみたいと思います。
子供の頃は日本語なんてどうでもいいと思ったことのある私が、日本語や日本の習慣や文化を大切に思うようになったのには二つの大きな理由があります。
一つ目の理由は私が勉強していたブラジル学校で聖書の展示会が開かれ、そこに世界中の聖書が集められました。その中に日本語の聖書もあり、それを友達に「読んでみて」と言われたとき、「これは難しすぎるから私にはまだ読めないの」と答えたところ、「ははは、本当は読めないんだろう。日本人の顔をしているくせに」と笑われたことです。
二つ目の理由は15歳の時に生徒本邦研修に行かせていただいたからです。研修に行けると知らされたときにはたんに1カ月間日本で遊べるという気持ちでした。しかし、報告書を書くとき一人では書けず、他の生徒に助けを求めながらやっと書くことができました。
私が日本で1カ月、楽しく過ごせたのは私一人の努力ではなく、JICAの方々やブラジル日本語センターのみなさんをはじめ、毎日、授業が終わってからの2時間、作文や面接の練習を繰り返し指導してくださった先生方。そして、子供たちに自分たちの中に流れる血のアイデンティティを忘れずに先祖を大切にして生きてほしい、日本の良き風習をぜひブラジルでも生かしてほしい、そういう思いから日本語学校を築き上げてきた、今は亡き方々の願いがあったからこそ、私は日本という自分に流れる血の故郷をこの目で見、肌で感じることができたのだという自覚を持つことができました。日本語は自分にとって単にもう一つの言語ではなく自分の存在自体に関係のあるものだとはじめて実感することができたのです。
ですから、本邦研修はただ日本語を身近に感じ、先祖の地を知ることではなく、ブラジルでその日本の文化を守ろうとして亡くなった多くの方々の偉大さに気づく機会でもあり、日系人として生まれた意味を見つけ出す場でもあると思います。
去年の2月に行われたモデル校代表者会議の最中、あるシニアボランティアの方が「子供たちに日本語を伝え続けたいという思いが父兄のみなさまの間では大きいので、その思いがある限り、ブラジルで継承日本語というものが続いてほしい」という発言に対し、一人のシニアの方が「そんな情熱が何をしてくれましたか」と問い掛けました。
私はその情熱が無ければ今のブラジルの中での『日本語』は存在しえなかったと思います。ある先生にこういうことを言われたことがあります。「一つの目的を達成するために二つの条件が必要である。一つはそれを果たせるだけの能力。もう一つはそれを果たしたいという意欲。要するに、意欲があっても能力が無ければ目的を達成することは難しい。能力があったとしてもそれを実現したいという情熱が無ければその目的は達成されるはずがない」と。
ですから、日本語を伝え続けようとする教師の能力、それを得るための機会をあたえてくださるJICAのご支援と日本語を伝え続けたいという父兄の皆様の熱意がなければ、継承日本語教育をブラジルで続けるという目的は到底果たされないものなのではないかと思います。
確かに、最近は日本人会の中でも「日本語なんて必要はない、自分たちはブラジルに住んでいるんだから」と言って、これまで努力してきてくださった方々への感謝すら忘れてしまい、侮辱としか思われないような発言をなさる方も多くなり、一般的に日本語教育にかける情熱もうすれてきています。
私からの願いはそういう情熱が冷めてきている今日、シニアの皆様からそれに水をかけ、弱まりつつも未だ燃え続けている日本語教育の火を消してしまうようなことだけは避けていただきたいのです。
お蔭様で、私たちの地域においてはそのような発言をなさるシニアの方は一人もいらっしゃらなかったので、議論中は唖然として聞いておりました。
しかし、他の地域でもそのような方がいらっしゃるとしたら、それは日本語教育の発展ではなくその逆に向かっていくのではないかという不安を感じるのは私だけでしょうか。
又、現在は日本語の学習者は地域によっては非日系の方が多いのが現状だということも会議中言われましたが、私が「日本人の顔をしているくせに」と言われたとき、「もっと勉強しよう」と刺激されたように、現在の悲観的な状況が日系のみなさんにとっては良い刺激になって、「日系人よ、もっと頑張ろう!」という声が大きくなればそれは大変嬉しいことではないでしょうか。
先に日本へ行かせていただいた私たちが、自分達の力不足に気づくのが遅かったがために、今日、本邦研修の夢を追いかけて日本語の勉強をしている多くの子供達の翼をもぎとらないでください。お願いします。
ブラジルに希望を胸に移住してきた方々、「日本へいつか帰ろう」と夢をみながらもこの大地の土とかえってしまった方々、この大地に流した百年もの涙と汗、すべては故郷を想うため。私たちに残された言葉、習慣、祖父母たちの地への道は少しずつとざされていくのでしょうか。
過去の苦しみだけを思いつづけようとは言っていません。これから生きていく子供たちに、色んな文化の存在するブラジルの中で、いつか「自分は他の人とはどこか違う」と思ったときには、日系人の血が流れていることに気づき、それを誇りに思えるようになってほしいのです。日本語の教師として、今、子供達に残せるものはこのような想いしかありません。
写真=「はるまつり」で生徒たち