ニッケイ新聞 2010年10月19日付け
8月5日にチリのサンホセ鉱山で起きた落盤事故で生き埋めになった33人の鉱夫グループが、2カ月ぶりに奇跡の生還をとげたことが世界的な話題になっている。ただし、地上との連絡が取れる以前の最初の17日間に何が起こったかに関しては、緘口令が敷かれて謎に包まれていると16日付けBBCや伯字紙各紙が伝えている。
同グループのホアン・イラネス広報担当は「最初の17日間のことは〃国家機密〃だ」とチリ地元紙ラ・テルセイラに語った。「鉱夫たちのイメージを守るためであると同時に、この経験を本として出版する予定だからだ」としている。
坑内の気温は40度で、水も食料も尽きかけていた。数日間はコップ半分の牛乳と一匙のマグロかサーモンで過ごし、絶望的な心理状態に置かれていたという。機械油混じりの汚水を耐えて飲んだ。イラネス氏は「炭鉱夫たちが地上の新しい現実に適応するまでプライベートを尊重してほしい」と注文をつけた。
リカルド・ゴドイ・ビラロエルさん(23)は「外から一切の音が届かず、餓死による緩慢な死を予期していた。自分が自らの身体を食べているかのように、どんどん痩せ細って死ぬのを待っていた」とし、絶望と歓喜を行ったり来たりする心境だったと吐露した。地上に戻った時は12キロも痩せていた。
記者会見で人肉食に関して質問され、ビラロエルさんは一瞬の沈黙の後、迷いを振り切るように「誰もその話はしなかった。だけど、地上と連絡が取れた後から、ピアーダのネタにはいつもなった」と明かした。
チームリーダーのルイス・ウルズアさん(54)は「33人の団結の秘訣はデモクラシア(民主主義)だ」と語っている。彼がみなを鼓舞して、機械整備と食料関係の二つのグループに分けて仕事を分担し、終わりがないかに見えた絶望の日々を勇気付けた。
気落ちするあまりベッドから起き上がることすら拒否するものが何人かでた。「全ては全員で多数決によって決めた。33人だから、16人と一人で多数さ」とウルズアさん。
毎日、決まった時間に神に祈りを捧げた。「それがみんなの心を強くした」とビラロエルさんは振り返る。暴力沙汰が起きたとの証言する炭鉱夫もいるが、記者会見に臨んだダリオさん(48)は「炭鉱の中で起きたことは、坑内に置いてきた」とだけ応えた。
スペインのエル・パイス紙は、最初の地上との連絡ビデオに表れたのは28人のみであり、残りの5人は別のグループを作って独自の生き残り策を探っていたと報道している。英ガーディアン紙は「3つのグループに分かれて場所などを争っていた」との証言を報道している。
フアン・カルロス・アギラールさん(33)はエル・パイス紙の取材に応え、「我々は8月5日以降に起きたことを語らないという協定を結んだ。みなが守ることを期待する。今はただ、みなが地上に持ってきた苦い体験を乗り越える時間が必要だ」と語っている。