ニッケイ新聞 2010年10月19日付け
日伯毎日新聞副社長、茨城県人会会長などを務めた中林昌夫さんが18日正午、入院先のサンタクルス病院で肺炎をこじらせて亡くなった。一週間前に入院するまでは元気で、将棋連盟やパウロス印刷に毎日顔を出していた。享年87。
1923年6月に茨城県で生まれ、33年にありぞな丸で家族と共に渡伯。父・武衛(たけえ)氏が茨城新聞の石岡町支局長をしていた経験から、長兄・敏彦氏、次兄・次男氏らと日本新聞(翁長助成社主)に入社し、以後、家族で邦字紙人生を歩む。
戦後、中林兄弟は47年1月のパウリスタ新聞の創刊に誘われ、その後49年に竹内秀一氏とともに戦後初の日刊紙・日伯毎日新聞を創刊し、印刷工場から総務、最後は副社長になって敏彦社長を支えた。80年代後半に引退して以来、次男氏の家族が経営するパウロス印刷を手伝っていた。
親族によれば18日にビラ・マリアナ墓地で通夜、翌19日朝8時からビラ・アルピーナ墓地で火葬される予定。