ニッケイ新聞 2010年10月20日付け
ブラジル日本都道府県人会連合会(与儀昭雄会長)による「第34回移民のふるさと巡り」が7日から12日まで実施された。国内各地の日系人ゆかりの地を巡る同旅行。今回は国境を越え、隣国ボリビアを初めて訪問した。ブラジルより早く、昨年日本人移住110周年を祝ったボリビア日系社会。しかしその大半は戦後移住であり、半世紀あまりの苦闘の跡は今も生々しい。どん底の初期開拓の苦難に耐え、政情不安やハイパーインフレ、デカセギなど時代の変転にもまれながら、異国の地に新たな故郷を築き上げてきた同国の日系人たち。安定を得たのはこの10年ほどのことだ。ブラジルから訪れた120人は、東部の中心都市サンタクルスとオキナワ、サンフアン両移住地を訪れ、温かいもてなしの中、その一端に触れた。(松田正生記者)
スペイン植民地支配から南米諸国を独立に導いたシモン・ボリバルの名が国名となったボリビアは、1826年に独立し、現在の人口は約1千万人。30以上のインディオ部族が暮らし、06年から先住民族出身のエボ・モラレス氏が大統領を務める。周辺国との度重なる戦争などで領土を割譲し、現在は四方を国に囲まれた内陸国だ。
日本人の移住は1899年、ペルーに渡った移民がアマゾンのゴム景気によってボリビア北部のリベラルタへ移り住んだことに始まる。現在の日系人口は約1万1千人。
同国では長年、行政府があるラパスを中心とした西部山岳地帯が中心で、アマゾンやマット・グロッソ、パラグアイのチャコ地方などにつながる東部地方は長年未開発の状態が続いてきた。
1952年にビクトル・パス・エステンソーロ大統領が就任、東部開発を推進する時代背景の中、同国の日系移住地サンフアン、オキナワも生まれた。56年には南米諸国で初めて日本との移住協定が締結された。
両移住地のあるサンタクルス県の面積は国土の約3分の1を占め、日本とほぼ同じ広さ。中でも県都サンタクルス市(正式名=Santa Cruz de la Sierra)は人口約150万人で国内最大の都市。近年、急速な発展を続けている。
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県連ふるさと巡りはこれまでにも南米諸国や日本なども訪れてきたが、ボリビアは初めて。121人の大所帯の大半は7日午前6時にグアルーリョス空港へ集まり、パラグアイ・アスンシオン経由でサンタクルスのビル・ビル国際空港へ。サンパウロ、アスンシオンでそれぞれ飛行機が遅れ、午後1時着の予定が到着したのは3時過ぎ(時差1時間)。
空港を出ると路上に15、6人乗りのマイクロバスがずらり。同国では大型バスが一般的でないためだそうで、AからFまで8つのグループに分かれてホテルへ向かう。
市内観光の後、市中心部で両手を広げるキリスト像を過ぎると、車は宿泊先のホテルへ到着。少し休んでホテルのレストランで夕食会が催された。
与儀会長、園田昭憲、山田康夫両副会長が「5日間、楽しく元気で過ごしましょう」とあいさつし、一同乾杯。同旅行参加は20回以上という清水秀策さん(75、愛知)も恒例のピアーダを披露し、「女性の方は聞かないふりをしながら聞いて」などと笑いを誘っていた。
移動また移動の初日が終了。翌日はいよいよ最初の目的地、オキナワ移住地へ向かう。(続く)
写真=ボリビア、サンタクルス県の地図