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個性的な道を選んだコチア青年たち

特集 コチア青年移住55周年・花嫁移住51周年

ニッケイ新聞 2010年10月23日付け

 夫婦で渡伯したコチア青年。農業に加えて商業でも成功した異色の人、永山八郎さん。バタタ作りから出発後、リンゴ作りに転換し、ブラジルでは唯一、雪の降るサンタカタリーナ州のサンジョアキンのリンゴ栽培団地に入植し、リンゴの国産に賭けた細井健志さん。4カ年の就労義務農年を果たして独立農として出発する事は、みな同じだが、この2人の進んだ道は極めて個性的である。共通しているのは、確固たる強い信念を持っていることである。

農、商両分野で成功=永山八郎さん

 永山八郎さん(76、福島県)は、第2次3回生の夫婦移住第1号として、1959年8月に着伯した。当時、夫は25歳、妻のてるさんは23歳、最初から異色の青年だった。51年間夫妻が歩んできた道も極めて個性的だ。
 移住に際して、まず、永山さんは3大目標を定め、その実現に向けて懸命な努力を惜しまなかった。それは、
①移住8年目に家族揃って訪日すること。
②20年で畜牛1千頭を持つこと。
③ポルトガル語を習得すること。
 しかし、踏み出しは苦難の道のりから始まった。まず、イタチーバに配耕され、バタタ栽培に従事。畜産技術者の永山さんと商家育ちのてる夫人は、まさに畠違いの農作業に挑戦して、無事に4年間の義務農年を務めあげ、5年目には歩合作で独立を果たした。
 その後も、野菜作りで営農の安定に着実な努力を続ける一方、子育てに励んだ。
 着伯20年を過ぎた79年にバタタが当たり、大きな利益を得た。しかし、バタタはリスクが大きい。
 ここで、一大転換期がやってきた。
 当時コチア産業組合がバイア州南部に果樹園団地を創設していたので、同州南部のイタマラジュに386ヘクタールの土地を購入して、リスクの大きいバタタ栽培からマモン栽培へと180度の方向転換をはかった。
 これが成功して、テイシェイラ・フレイタス事業所への出荷量の20%を占めた。併行事業の畜牛も、92年には第2目標の1千頭を30年かけて達成させた。第1目標の訪日は13年目に達成している。
 1987年のコチア産組創立50周年記念式典では、最優秀組合員として表彰された。
 農業経営で成功した永山さんが、サンパウロ市内の高級商業地として有名なイタイン地区に開いた和食レストランは盛業中。これは、次男マリオさんが留学したアメリカでのアルバイト経験を活かしたもので、この地区に3店を持ち、「和食を好むアメリカ人」から和食党のブラジル人を開拓、大好評を博し、和食普及に大きく貢献している。
 また、有名ショッピング・センター内にも支店を増し、商業の分野でも成功者であるが、さすがの永山さんも第3目標のポルトガル語習得は挑戦中とか。
 始めに農業、次に商業の2分野で成功を収めた事は、夫婦移民として、てる夫人と一心同体、2男2女に恵まれ、家族が強い絆で結ばれ、一致団結して事に当たって最善を尽くしてきた賜物である。
 3年前にバイアの土地を処分して、サンパウロ州タツイに60ヘクタールの土地を買って、牛の肥育を始めた。
 さて、このエネルギーを社会還元することにも積極的で、10年前のコチア青年移住45周年の時には協議会会長として活躍、式典を成功させている。
 4年前からサンパウロ日伯援護協会理事。ブラジル療育音楽ボランティア協会理事長を務めている。
 さらにコチア青年三世訪日研修を提案し、自身の孫2人の参加を決め、成功を期している。