ニッケイ新聞 2010年10月28日付け
「遠くの親戚より近くの他人」ということわざを戦後の単身移住者はより深く感じてきたのではないか。「ブラジルにおいては天涯孤独」と中途半端に虚勢を張ってきたコラム子も他人を頼るではないが、人の情は十分に感じてきた。ただ、母方の祖父の兄弟(大叔父にあたる)が移民したというのだが、遠い戦前の話―と頭の片隅に追いやっていた▼先日、米国ロスからハトコにあたる親戚がサンパウロに所用で訪れ、会うことに。両親の遺品を整理したさい、出てきた葉書の日本の住所でコラム子の家族と連絡がつき、今回の初対面と相成ったわけだ。ブラジルで米国日系三世のハトコと英語で話しているのもなかなかに面白い体験だった▼〃ブラジルの親戚〃も話題になった。「帰国時、空港で航空会社の職員に『あなたと同じ苗字の友達がいる』と言われたので連絡して欲しい、と名刺を置いてきた」とメールが入った。家系図を作りたいという彼に感化され、今までの不精を反省し、ネットサービスで電話番号を検索してみた▼珍しい苗字なので、そんなに数は多くなかった。サンパウロ市近郊のモジにいくつかあった。気まぐれにそのうちの一軒に電話、応対した女性に事情を話したところ、彼女の祖父の郷里はコラム子と同じ。もしかして―と話をたぐると、「私たち…ハトコね」と笑い声が受話器から漏れた▼モジといえば、戦前移民が多く、サンパウロの食糧供給に日本移民が大きな役目を果たしたところ。その歴史は知っていたが、その貢献のなかに同族がいたとは何とも誇らしい。大叔父の墓参も兼ね、家族の歴史を取材したいところだ。(剛)