ニッケイ新聞 2010年11月2日付け
10月31日に行われた大統領選決選投票は、労働者党(PT)のジウマ・ロウセフ氏(62)が56%の支持を集め、2011年1月1日に、ブラジル史上40人目、女性としては初の大統領職に就任する事が決まった。
1日付伯字紙などによると、選挙高裁がジウマ氏当確と発表したのは10月31日午後8時12分。ブラジル初の女性大統領誕生のニュースは世界を駆け回った。ブラジリアの自宅で結果を見守っていた同氏は同7時32分、最初の祝福の言葉を受けたという。
1日付エスタード紙の表紙に「ルーラの勝利」の大見出しが踊ったように、ジウマ氏当選はルーラ大統領の尽力によるところが大きい。ジウマ氏は、軍政下に投獄も経験した女性ゲリラとしても初めて大統領府での執政権を握る事になる。
ブルガリア出身でブラジルに帰化した弁護士のペドロ・ロウセフ氏(ブルガリア語表記はペーター・ルセフ)と、リオ州ノヴァ・フリブルゴ出身の教師ジウマ・ジャーネ・シウヴァ氏の長女ジウマ氏は、1947年12月14日にミナス州ベロ・オリゾンテで3人兄弟の真ん中として生まれた。
16歳でベロ・オリゾンテの左派組織に加わったジウマ氏は、1968年以降偽名を使い、リオ州やサンパウロ州で活動を継続。ウルグアイで軍事訓練を受けた事もある。
1970年1月に当局に捕まり迫害後、10年間の政治活動禁止と6年1カ月の実刑判決を言い渡されたが、1972年に減刑されて出獄。
その後、南大河州ポルト・アレグレに移り、同州連邦大学で経済学を専攻し1977年に卒業。同市で民主労働党(PDT)創立にも加わった後に市財務局長や同州鉱山エネルギー局長を歴任したジウマ氏は、2001年にPTに移籍した。
その後、2002年の大統領選挙でルーラ陣営の政策立案に加わり、2003年に第一次ルーラ政権の鉱山動力相として入閣。時の官房長官ジョゼ・ジルセウ氏がスキャンダルに巻き込まれて辞任した2005年、官房長官に抜擢された。
国政選挙の経験もなく入閣したジウマ氏は、実務能力を高く評価されたが、知名度に欠くのが最大の弱点と見たルーラ大統領は、経済活性化計画(PAC)の責任者に据えて〃PACの母〃の名で呼び始めるなど、あらゆる方法で同氏をアピール。選挙公示前から「自分の退任後はジウマがこれこれを実現してくれる」などの発言を繰り返し、選挙法違反に問われた事は記憶に新しい。
2009年のリンパ腺ガン発見後は化学療法に努めて選挙戦に臨んだジウマ氏だが、ルーラ人気に乗じて一次当選との期待はスキャンダルなどで裏切られ、決選投票に至った。
決選投票の対立候補は民主社会党(PSDB)のジョゼ・セーラ氏だったが、大統領や閣僚の応援も受け、現政権の政策継承を謳い文句にした選挙戦は奏功し、生活扶助(ボルサ・ファミリア)受給者らの根強い支持を得て当選。政治経験の豊富なセーラ氏を、生活扶助受給者の多い北東伯の1070万票など1200万票差で押さえた。