ニッケイ新聞 2010年11月2日付け
舞踊一筋79年、ブラジルで広めた花柳の名―。今年1月、花柳流金龍会会主の花柳金龍師範(87、福岡出身)が家元の四世花柳寿輔氏から「柳芳賞」を受けた。戦時中に少女時代を過ごし、渡伯後58年間にわたり日本文化普及、舞踊の研鑽、後進の育成に務めてきた金龍師。その功績が認められ、日本舞踊の最大流派、2万人の門弟の中からブラジル初となった同賞受賞を祝い、10月23日、門下生らにより文協貴賓室で祝賀会が開催された。130人が集まり、今日までの同師のブラジル舞踊界への貢献を称えた。
祝賀会には、流派を超えた舞踊の指導者とその門下生ら、コロニア芸能関係者らが出席。個人的な付き合いも長い藤瀬佳子さんが司会を務め、同師の紹介を行った。
金龍さんは8歳から花柳流舞踊を始め、その道を志すが、特高警察であった厳格な父はそれに反対。当事は満州事変の勃発直後、世間の舞踊に対する目は厳しかった。「舞踊なんてけしからん、という空気があった。それでも蓄音機に毛布をかけて、母と一緒に練習していた」と当事を振り返る。
金太郎師範の門下生となるが、戦時中は父との約束であった女学校に通い勤労奉仕に追われるなど、舞踊に打ち込む時間は少なかった。
戦後、23歳で名取になり、弟子も取った。1952年27歳で、夫の兄を頼りに渡伯。その後58年間ブラジルに花柳の名を広めた。
54年にはサンパウロ市400年祭祝賀に参加。日本移民50周年から10年毎の式典に盆踊りで協力し、70周年祭では2千人の踊り手たちを振付けた。
国外でもアルゼンチンや、ペルー日本移民90周年記念の祝賀でも舞踊を披露。これまでに名取16人を輩出、門下生は200人になる。
「『感謝を忘れず、常に謙虚な人であれ』が金龍師範のモットー」と司会者が紹介を行い、来賓の大部一秋在聖総領事、林まどか文協副会長の祝辞に続き、金龍師が涙を目に浮かべ、謝辞を述べた。
その後、金龍師の創作舞踊で名取らが華麗な舞をみせ、出席者を惹きこんだ。創作は現在も行い、「今もノッたときは夜中2時3時まで」とその気力は衰えず、週5回5時間の指導も続ける。
「明るく気さくな方だけども、踊りとなると厳しい」と古参の名取龍香さんは、金龍師についてそう述べる。
稽古場では古典舞踊を基本に、行儀作法の大切さも伝えてきた。「行儀作法、謙虚さを持って始めて舞踊家として輝きが生まれる」とする。
受賞には「夢のよう。思ってもいなかった。大変な嬉しさです」と喜びを表し、自身の舞踊家人生を、「好きな舞踊をずっとやって来られて、最高に楽しかった。稽古場に行けば、つらいことも忘れた」と述べ、「後継者と呼べる人物も育ってきている。名取たちにこれからも花柳を守っていって欲しい」と58年間作り上げてきたブラジルの花柳流の、将来を思い描いた。