ニッケイ新聞 2010年11月2日付け
交流を終えた翌日、一行はユネスコ世界遺産「サマイパタ砦」へ。標高1960メートルの山頂にあり、革命家チェ・ゲバラも一時占拠したことがあるという。
サンタクルスから車で3時間余り。山道から、さらにマイクロバス一台がやっとの道を上って到着。約1時間半かけ巨大な岩の砦、周囲の住居や兵舎跡などを散策した。ミーリョや米を栽培し約3000人が暮らしたと考えられている。
100メートルはある岩の上部には動物や幾何学模様などが彫られ、中心からは飲み物、または生贄の血を流したとされる溝が伸びる。同遺跡は17世紀に発見、長年インカ帝国が低地部族の侵入を防ぐため築いたと考えられてきた。しかし、この日同行した大塚真琴さんによれば、紀元前のモホス古代文明まで溯る祭儀場という説もあるそうだ。大塚さんは元JICA専門家として同国で活動、現在は森林農法のNGO団体を主宰する。
古代ロマンを伝えるサマイパタ。今でも、土器はわずか、人骨は見つかっていないなど未発掘の部分も多く、今後注目を浴びるかもしれない。
夜は市内レストランでボリビア最後の夕食。山田副会長は「皆さんのおかげで事故もなく楽しく過ごせた」と感謝の挨拶、民族音楽に合わせて踊る人もあり賑わった。
「農業を知らないから」と話す工業移住の有坂隆良さん(71、長野)。サントスの知人が元サンフアン入植者で、同地の人に「よろしく伝えて」と言われたという。「帰ったら電話しますよ」
「昔の人と知り合えるのがいい所」、参加二回目という関屋八重子さん(60、北海道)。さらに今回、参加者の中に一年違いで同じパトロンの所で働いていた人がいたという出会いもあった。
斉藤利治さん(69、二世)は父が入植したパ国ラ・コルメナ移住地を訪ねた旅行で初参加。「父を知っている人に会えました」。今回はサンフアンで、娘が福岡県に留学した時の友人に会ったという。「向こうから見つけてくれて、よろしく伝えてと。不思議な縁ですね。嬉しいですよ」
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翌日は飛行機の移動のみ。午前中に買物でもと話していたところが、ホテルへ到着すると、空港までの道路が封鎖されるかもしれないと突然の知らせ。便は午後だが、最悪の場合を想定して翌朝は5時出発となった。
約10時間の待ち時間を眠り、話し、買物しながらそれぞれ過ごす。
吉久覚さん(71、三重)は59年移住。長年ボイツーバで農業を営んだ。「僕らは戦前の人が苦労して基礎を築いた所に入ったから楽だったと思う。だから移住地を見たいんですよ」と話す。
オキナワ移住地に高校の同級生が入植したという喜納兼正さん(67、沖縄)。本人は現在日本にいるが、移住地で家族と会えたそうだ。「アルゼンチンへ移った人、日本に帰国した人もいた」と苦労を偲ぶ喜納さん。「皆さん元気でした」と喜び、「来た甲斐がありました」と話していた。
再びアスンシオン経由でサンパウロへ。飛行機は遅れたが、午後11時無事に到着し、一行は別れの挨拶を交わしながら帰途に着いた。(おわり、松田正生記者)
写真=サマイパタ砦を観光する参加者たち