ニッケイ新聞 2010年11月5日付け
経済危機の中、多くのデカセギが帰伯した一方で、定住を決意して日本に留まることを選んだデカセギも多かった。彼らは日本の社会制度に適応しながら家族を養い、住居の購入を考えるなどしっかりとその地に根を張って暮らしている。10月31日付エスタード紙が取り上げた。
17歳で日本へ渡ったタマダ・エジソンさん(38)は「工場勤務をしながら考えていた」という起業の夢を静岡県で実現。パン屋やスーパーその他、様々な分野に進出し、デカセギ起業の最大グループ企業となったIB Fox社は、全盛期には従業員700人、売り上げは1億ドル以上を記録したものの、その数倍の借金で経営悪化。資産の9割を売却して借金を返済した今は、150人規模でハム(モルタデーラ)やパンその他を製造販売しており、来年はこの分野で県内最大の会社になる見込みだ。
また、定住を見据え、生活の質の向上を求めるデカセギの意向は住居の獲得にも表れてくる。三重、滋賀、岐阜地域を担当する日系不動産業者によれば、業界も経済危機で停滞したが、ここ1年間は新たな住居の購入が著しいという。
1998年から日本に住むフジタ・アルジェノさん(36)は、3カ月前に三重県より40万レアル相当を借入れ新居の建設を決心した。帰伯の予定はないというフジタさんは「仕事に加えて、生活の基盤はすでに日本にある」と語る。「日本政府は外国人が日本に定住できるよう働きかけてくれる」と考えている。
日系人の妻と20年間日本に暮らすマルセロ・フェリックスさん(42)も、愛知県春日井市で念願のマイホームを購入。定住の一番の理由は「息子が日本での将来を考えているから」と説明するフェリックスさんは、「移住者として日本市民同様の義務を果たしたい」との思いを持つ。
最近は、ブラジル政府のデカセギ支援にも注目できる。7月には静岡県浜松市に就職口の斡旋を行う労働者の家が開設されたほか、カルロス・エドゥアルド・ガバス社会福祉相は、デカセギの日本での就労期間もブラジルの年金制度に換算できる契約を結んだ。
駐日ブラジル大使館のルイス・アウグスト・デ・カストロ・ネーヴェス大使は、高学歴のデカセギも増えている現状から、デカセギ社会の変化に言及しながら「デカセギの存在は日伯の重要な架け橋。ブラジルへの日本移民が我々社会の発展に貢献したように、彼らにも日本で活躍してもらいたい」と期待。「ブラジル政府は個人の選択を尊重し、その支援に尽力する」と強調した。