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母に捧げる内閣総理大臣賞=吉川さんが大衆音楽祭で=日本でプロ歌手を目指す=「歌は私の人生そのもの」

ニッケイ新聞 2010年11月24日付け

 9月19日に東京・有楽町にあるよみうりホールで開催された第26回日本大衆音楽祭で、60人が参加したグランプリ部門の内閣総理大臣賞に「悲恋歌」を歌った吉川年秋さん(26、三世)が見事選ばれた。滞日4カ月、この音楽祭に合わせて来日した母の眼の前での快挙だった。千葉の弁当屋で仕事をしながら「大好きな日本に母と共に滞在してプロを目指す」という吉川さんに、当日の様子をメールで取材してみた。

 母が日系二世、父がブラジル人の吉川さんは、親の仕事の関係で8歳から11歳まで日本で生活した。京都で小学校3、4年生、その後、群馬県に移り住み、そこで卒業した。歌を始めたのは帰伯した11歳の時で、叔父の影響でカラオケ大会に出場し始めた。
 13歳から北川彰久さんに師事し、「いつか日本の大舞台で歌いたい」と夢見てきた。2001年にはブラジル代表として日本アマチュア歌謡祭(NAK)グランプリ大会に出場して、グランプリを受賞した。
 吉川さんは「でも日本での舞台を最も楽しみにしていた母はその時、残念ながら見る事ができませんでした。いつかあの時の感激、喜びを母と一緒に味わいたい! その想いで今回の日本大衆音楽祭に臨みました」と説明する。
 満を持して母は大会4日前に来日した。「当日の僕の思いはただ一つ『母の夢は僕の夢』でした。その夢を壊しちゃいけない、その一心で歌いました」。出場順位は最後、待ち時間がとんでもなく長く感じた。「緊張しました。でも歌い終わった後、母が『すごく伝わってきた』といってくれ、その一言で僕の心は癒されました」とふり返る。
 栄えある内閣総理大臣賞に選ばれたとの発表を聞いた瞬間、二人で抱き合って喜んだ。うれし泣きする二人の様子を見て、もらい泣きする会場の日本人までいたという。
 過去、ブラジル人でこの賞を受賞したのは3人いる。1999年の土屋小百合さん、04年の早富士アレシャンドレさん、07年の平田信弘さん。
 受賞後すぐに、ブラジルの北川さんにお礼のメールを出した。「最高にうれしかったです。これからもこちらでがんばって、きちんと仕事をしながら歌の勉強も続けて行きたい」と綴られている。
 吉川さんは母と共に千葉県の弁当屋で働きながら、プロ歌手になることを目指して生活している。ニッケイ新聞の取材に対し、「日本のすべてが大好きな僕は、こちらでずっと生活することを決心しました。帰国の予定はありません。歌はわたしの人生そのものです。人に元気や勇気をぼくの歌で伝えていきたい」と熱っぽく抱負を綴ってきた。