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《記者コラム》ホテルに置かれた仏教経典から名曲の着想をえた伝説のロック歌手

ニッケイ新聞 2010年11月24日付け

 日本の精密測定器の先駆メーカー「ミツトヨ」は1965年に仏教伝道協会を組織して、『仏教聖典』を51カ国語に翻訳し全世界の約9千軒のホテル、計100万室に常備する活動を繰り広げている。配布総数はなんと700万部に及ぶとか。もちろんブラジル内でもポ語版を配布している▼今年のコロニア文芸賞に選ばれた、南米ミツトヨ社の専務取締役工場長を長年務めた吉田俊一さん著『ブラジルに来て四十五年』には、この聖典に関する興味深い逸話が掲載されている▼レジョン・ウルバーナのレナト・ルッソといってピンとくる人は少ないと思うが、子や孫に聞いてもらえば大半が知っているはずだ。伝説的な人気を誇った人気ロックバンドで、90年代に2千万枚もの販売記録を作った。レナトは強いカリスマ性を持つリーダーで、96年に惜しくも36歳の若さでエイズにより亡くなった▼彼がサンパウロ市のホテルに宿泊した際、枕辺の仏教聖典を読み、翌朝詩の発想を得たと感謝の手紙を吉田さん宛てに送ってきた。「朝、東向きの部屋の窓辺に射しこむ陽光を見て、昨夜読んだ聖典の意味はこれだったのかと、心の中から沸々と湧き出るものを感じ、一瞬にして『あなたの部屋の窓に陽が射す時』の歌詞を書き上げました」とのこと▼「今この瞬間に全てをやり直せるのに、なぜ待っているのか」「太陽は全ての人に昇るが、望まない人には知ることができない」などの歌詞には〃窓辺の悟り〃の片鱗が伺える▼この曲を聴く若者の大半は仏教に興味はないだろう。でも知らない間に日本的なものの考え方になじんでいく。同聖典配布は地道な活動だが成果は計り知れない。(深)