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第40回山本喜誉司賞=香林、瀬良、結城3氏に=授与式に約250人出席=故広本ダリオ氏に感謝状

ニッケイ新聞 2010年12月2日付け

 農業界に対する日系人貢献者に与えられる「山本喜誉司賞」の授与式が11月26日夜、文協ビル貴賓室で行なわれ、約250人の関係者で会場は一杯となった。同賞選考委員会(高橋一水委員長)の厳正な選考により、今年は香林昭司(70、二世、サンパウロ州グァラサイ市)、結城ヴァルジール(63、二世、サンパウロ州インダイアツーバ市)、瀬良積(69、二世、パラナ州ロンドリーナ市)の3氏の受賞に加え、昨年10月に46歳で亡くなった広本ダリオ氏(三世、麻州ロンドノーポリス市)に感謝状が送られた。

 式典には、大部一秋総領事夫妻、森口イナシオ援護協会会長、坂本アウグスト県連副会長、山下譲二文協副会長ら来賓をはじめ、農業関係者、受賞者の家族、知人ら多くが駆けつけた。
 高橋選考委員長はあいさつのなかで、今回の受賞者に一世がいないことを指摘、「コロニアよりもブラジル全体への貢献が多くなってきた。選考委も審査方法も変わるべきでは」と40回の節目を転換期と位置づけた。
 来賓の祝辞の後、受賞者それぞれに賞状と記念品が手渡され、会場から大きな拍手が送られた。
 受賞者代表謝辞で香林氏は、「身に余る光栄。コロニア、ブラジルの発展のため微力ながらこれからも尽力していきたい」と話した。

受賞者それぞれの苦労=農業一筋の人生語る

 式典に先立ち、受賞者が出席する記者会見が文協ビル会議室で行なわれた。
 「ただの物好きで色々やっただけ」―。そう謙遜するのは、サンパウロ州グァラサイー市を、州内消費の約7割を生産する〃キャピタル・デ・アバカシー〃と呼ばれるまでに育て上げた香林昭司さん。
 コチア産業組合が同地で2本のアバカシーを植えたのが始まり。現在、年間6万トンを出荷する生産者協会を設立、カンピーナス農業研究所と共同でカイエン種の改良にも携わった。
 地元への雇用創出の面において貢献、市への納税額もトップレベル。現在は、日本への輸出も目指し、研究を重ねる日々を続けている。
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 「父が生きていたらさぞかし喜んだだろう」と受賞の感想をしみじみと語るのは、結城ヴァルジールさん。
 大学卒業後、カンピーナス州立農業試験場に勤め、植物ウィルスを専門に研究。特にアジサイの無菌種を作り、今では汎ヅットラ花卉生産者協会の目玉商品だ。
 長男が18歳のとき前妻が亡くなり、進学の問題など家庭、仕事で二役を努める苦労の時期も。「今後はマラクジャ等に被害を与えるウィルスの駆除の研究に努めていく」と語った。
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 サビ病、ネマトーダ、細菌病に強い13種のコーヒー種を発見した瀬良積さん。
 「土地、人を使わず技術を使う」をモットーに、霜の前に収穫ができる早稲の苗の生産、密集栽培を奨励、小、中規模のコーヒー栽培者が多いパラナ州のコーヒー産業の振興に務めてきた。 「研究を始めて30年。働くばかりであっという間に過ぎた」と話し、受賞を聞いた時は、ただ驚いたという。
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 感謝状が贈られた広本ダリオさん(故人)は、1993年にマットグロッソ農牧研究団を設立し、技術発展、新種の発見に没頭した。研修の成果は特にセラード地帯での生産性の向上に大いに役立っている。
 しかし、46歳の若さで他界。ミサでは手向ける花が街から無くなるほど多くの参列者がその死を惜しんだという。
 母の秀子さん(87、二世)は、「11人兄弟の末っ子。自慢の息子だった。一生懸命働いたからか、若くして逝ってしまった」と言葉少なに語った。