ニッケイ新聞 2010年12月17日付け
9日付けエスタード紙の死亡欄に、悲しい元デカセギの逸話が紹介されていた。当地で幾つもの職歴を重ねたアオキ・セルジオさんは、50歳を過ぎてからデカセギにいったが、年齢もあってあちらでも良い職に恵まれないうちに不況となり、帰伯していた。若い頃から卓球で鳴らし、コロニアの選手権大会では活躍する選手だった。悪戯好きで知られ友人が多く、Xマスカードは百枚以上書き、定形の文言の他に必ず一言書き加える繊細さも持ち合わせていた。ところが先月12日突然亡くなった。兄弟は彼の遺言として、すでに書きあがっていた今年のカードを発送したという。事情を知る友人らにとっては、嬉しいような悲しいような複雑なカードになったよう。
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16日に開かれた援協理事会。注目された文協ビル内の旧援協本部売買の件では、援協側の売買希望金額も決まり、県連との間で具体的な金額の交渉に入る事が承認されたが、すでに水面下では援協側と県連側との交渉が進み、おおよそ47万レでの購入が決まるのではないかと見る人も。今日は県連の代表者会議。与儀会長は「各県人会会長らの意見を聞いてから」とのコメントにとどめるが、どんな意見が飛び出すか。