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日本語教育リレーエッセイ=第11回=バストス日語教育の考察=下=宇佐美宗一

ニッケイ新聞 2010年12月25日付け

 現在行われているイベントは、全て最高に運営されている。しかし日本学校の経営にはこの10年間は、試行錯誤を重ねてきた。
 日本語学校の新校舎が出来てから、数年間は生徒の日本語のレベルは上がった。汎パウリスタの日本語に関するイベントで殆どの場合上位の成績を占めるようになっていた。
 日本語教育が活性化されたかに見えたが、2000年代に成ってから生徒数が徐々に減り始める。原因は日系社会の家長が40才代になり日系色が薄れた事と出稼ぎによる影響もあって、やむをえない面もある。
 それにしてもバストス在住の日系人の割合を見ると、生徒数が少なすぎる様に思える。一般に日系コロニアの日本語に対する意識が薄れている昨今だが、原因のひとつは、汎パウリスタ各地の文化協会でも日本文化の本流を見ず、カラオケ、盆踊り等の一面しか見えなくなっている事にもよる。各地の文協との交流もこうした娯楽のイベントが殆どで、日本民族の誇れる文化の大部分が忘れ去られた。それに対する倫理も失われている。
 幾つかの例を挙げると、汎パウリスタ連合文化協会は、毎年児童お話大会を催すが、準備委員会で審査基準を決める話合いの中で「審査評価は論調90点態度10点とする」項目があった。私が「論旨を40点位評価する必要が有るのでは」と意見すると、「どうせ論旨は誰かに書いて貰ってるか本からとったものなので論旨の評価はいらない。これでよいのだ」と言われた事が有った。私が、「出場する生徒には最低自分の話している内容を理解させる必要があるのでは」と意見を出すと、「生徒はテープで丸暗記するので論調だけの評価でよい」。私は唖然として、「我々の子供はオウムか」と言ったのを覚えている。
 又評価点数の問題でも小数点以下も付ける必要ありと決めたので「お話の評価は各審査員の感性、主観等で評価されるので、運動会のような駆けっこで1等2等と決められる事と違うので、大まかな点数の付け方で良いのでは」と意見を出したが、聞き入れてもらえず、挙句はカラオケの点数がどうのこうのと、とんでもない事を言い出す。
 これはほんの一部で、現在の文協はこのような非常識がまかり通る団体になってしまっている。このままだと日本文化は蒸発してしまいそうに思える。日本語、日本文化の活性化を目指すなら、先ずは日系コロニアのシンボルである、文化協会の体質が問題である。何が重要かをはっきりと見極めて、日本文化の真髄を理解し広める事で、初めて日本語の活性化に繋がると思える。
 現在汎パ連合文化協会は、この4―5年で日本語学校が4校に減ってしまった。近年のバストスの日本学校も生徒の減少に苦慮している。10年程前に現会長の薮田氏が会長在任時代に、日本語学校の責任者が辞任し又、長年日本語学校の先生として勤めてもらっていた方も定年退職したので、早急に体制を立て直す必要があった。会長の要請でその仕事を私に任される事となる。
 前任者は日本語学校を手堅く経営をしていたが、万事が保守的だった。経済面でもすべてが節約主義で経営していた。生徒数がある程度の数があると、これでも経営出来たが、生徒の数が少なくなっていく状態では赤字にならざるをえない、その上ベテランの先生が定年退職したので、それに代わる能力のある先生を探す必要があった。かなりの高額の給料を覚悟しなければならず、赤字につぐ赤字経営が目に見えていた。
 会長に相談すると学校経営方針、大まかな年間予算、後任の先生問題等の詳細を求められる。経済問題以外は何とか方法はあるが、お金の問題となると簡単ではない、予算を概算して見ると年間に2万R$程掛る事が判った。会長に相談すると、考えておこうと言われた。
 数日後、会長から返事があり、次の案が示された。日本語学校で事業をやる事。文協はその事業に会を挙げて協力する。要は、卵の町で、卵祭りでオムレツを作り日本語学校が売る、卵の宣伝も兼ねているのでオムレツにかかる全ての材料費用は、文協が寄付を集めて支給する。売り上げ全額を日本学校の経費に充てる。
 実際にこれを卵祭りでやって見ると、卵の宣伝も兼ねているので、寄付も集め易く、オムレツの売り上げも、予定どおり金額をあげることが出来た。仕事はかなりきつかったが、この方法だと毎年決まった収入が有るので、年間の計画が立てやすく、日本語学校の活性化が確実に達成出来ると信じていた。
 それから10年が過ぎた。経済的には毎年2万R$程の収入があるので、経費に困った事はなかった。私が日本語学校を引き受けた時点で生徒数は50人を超えていた。その後、生徒数は減り続けて、少ない時には15人にも満たない時もあった。平均して30人前後の維持が難しく、当初考えていた活性化とは程遠い状況である。
 この計画を始めた時に、会長に「是非尽力して欲しい、この計画が達成できたら、日本語学校の活性化に必ずつながる」と大見得を切ったが、結果は逆で、申し訳なく思っている。時々会長が笑いながら、「生徒は増えたか」とたびたび皮肉を言われる。全く面目ない思いである。
 失敗の原因は幾つかあるが、時代の流れで、全伯的な日系コロニアの、日本語教育に対する無関心さによる影響も大きく、そうした逆風の中での経営であった。そして、充分な予算に頼り過ぎた事と、地域の日系コロニアに対して、日本語教育による日本文化の啓蒙が充分達成されていなかった事にもよる。
 現在文協の日本語学校は再度大きな危機を迎えている。JICAから派遣されている先生は別として、其の他に2名の先生が在籍しているが、その2名とも今年いっぱいで退職したいと、意思表示しているので、その対策を早急にしなければいけないが、もう一度この10年間を検証し直して今後の経営を考えて見たいと思っている。(おわり)