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喜ばしい若い皇室の方々の活躍=昭和天皇が種を蒔き=平成の時代に花開く

特集 2010年新年号

ニッケイ新聞 2011年1月1日付け

 昨年の皇室には、皇太子家の愛子さま通学の問題があったりもしたが、大きく揺れ動くようなこともなく、恙無くすぎたのは真に喜ばしい。
 一昨年の12月には、鳩山内閣というよりは小沢一郎幹事長(当時)が、日本を訪問していた中国ナンバー2の習近平・国家副主席を今上陛下と会談させるために羽毛田信吾・宮内庁長官に圧力を掛ける不祥事が起こり、小沢氏への激しい批判が巻き起こった。
 小沢幹事長は、民主党の国会議員143人と支持者ら630人を引き連れて中国を訪問し、世の人々は大朝貢団と揶揄したけれども、小沢氏としては、訪中のときの歓迎ぶりに感謝し、そのお礼にと習副主席に花を持たせようとしたらしいが、この騒動の責任はどこまでも小沢幹事長と民主党にあるのは明らかである。
 天皇を始め皇族や皇室を政治的な思惑で動かすのは大変な危険を伴うために「禁止」されているのが常識であり、平成4年の天皇訪中についても、「政治利用」の批判は今も続いている。それなのに政界にはまだ皇室を自在にしたいの底流が根強いのは如何なものか。
 先の議会開設120年の記念式典では、民主党の中井洽元法務大臣が、陛下と皇后さまが入場するのを起立して待っていた秋篠宮さまと紀子妃さまに「早く座れよ」の暴言を発し、江田五月・議長が事実を調査すると言明するなど、国会議員の中にも「皇室軽視」が広がっているの印象を強くしたのは、何とも遺憾としか申しようがない。
 と、皇室を取り囲む情勢は、かなり厳しいものもあるが、国民には「象徴天皇」の認識が深く染み込み、天皇の継承という歴史的な難問を抱えながらも、皇室の安寧は保たれているし、皇室への評価も高い。
 この1年を振り返ってみると、皇太子外遊や若い皇室の方々が積極的に活動し皇室外交を始めとする行動に大きな役割を果たしたのは喜ばしい。
 これは天皇と皇后さまがご高齢であり健康にご留意なされていることへの配慮もあると思われるが、皇太子さまのガーナ、ケニア訪問は素晴らしかった。サハラ以南への旅は初めてだったが、とりわけガーナでは黄熱病を研究中に亡くなった野口英世博士の研究所を視察なされ現地の人々と親しく交わったのは嬉しい成果と高く評価したい。
 6月にはスウェーデンを訪ねたし、常陸宮さまと華子妃はモナコをご訪問になり、あの立憲公国と群青に輝く海の美しさを満喫されたのには、きっとご満足されたのに違いない。
 もっと大きいのは、喉頭がんで何回も手術を受けられ、声が出せなくなった寛仁親王が人工発声器を着けトルコに赴きアナトリア考古学研究所の落成式に出席したことである。これは父であるオリエント学専攻の三笠宮崇仁さまが卆壽を超えるご高齢なので代理のような色彩も強いけれども、その詳しい様子は文藝春秋の10月号に自ら筆を執っている。
 ご存知のように三笠宮さまは、陸士、陸大組の軍人だったが、戦後に聴講生として東京大学でオリエント史を学び「帝王と墓と民衆」を光文社から出版し、東京女子大学で教壇にたち、昼は学生食堂で「キツネうどん」が大好きだったので女子学生らは「宮さまうどん」と競って食べたものだそうだ。「建国の日」で議論が沸騰したときに「2月10日に科学的な根拠はない」と発言し話題になりもしたが、寛仁親王の「女系天皇反対」論も、三笠宮さまの奔放多き血筋を引き継いだのかもしれない。
 なお、トルコには長女の彬子さまも同行し、寛仁さまの通訳や挨拶の代読をし、式典を盛り上げているのも忘れまい。ちなみに彬子さまも英国のオックスフォード大学に留学し歴史を学び、イギリスに渡った日本美術品の研究をなされ立命館大学の研究員となって確か一人暮らしをしているらしい。これも、戦前なら考えられないことながら、新しい皇室の生き方と受け止めたい。
 この他にも高円宮久子さまはフィンランドへ。陛下の初孫である秋篠宮の眞子さまは国際基督教大学の英語研修でアイルランドに旅行されているし、皇室の若い世代にとって海外の国々は、もう「外国」ではなく、ちょっと「遠い処」になったという気がする。
 「ナマズ殿下」の愛称で親しまれている秋篠宮さまは、紀子さまに贈った婚約指輪もナマズを図案化したものだし、若者らの人気となった。また、タイには研究のためによく赴き、現地の大学などで学びながら「鶏はタイで8千年前に起源した」のを唱える専門家であり、博士号も多い。東京農大の客員教授とし活躍し、タイ事典にも執筆するなど大きな意味での日本とタイ親善の絆になっている。
 このように若い皇室の方々と諸外国との交流が、活発になっているのは、新しい皇室の在り方を示すものと見たい。大きな視野で捉えれば、これも皇室外交の一つであろうし、日本と海外の国々との友好促進の力強い手助けになっている。
 日本の皇室は古くから朝鮮の人々とは近しく、あの桓武天皇の母親は百済25代の武寧王の子孫であることは、韓国の盧泰愚大統領が訪日し、晩餐会のときに陛下がお話し世を驚かせたものである。だが、皇室が諸国と積極的に往来するようになったのは昭和天皇からだし、これを引き継ぎ拡大したのが皇太子(当時)と美智子妃殿下なのである。昭和天皇が種を蒔き、平成の時代になりやっと花を開いたのが皇族の外国公式訪問や留学だし、この潮流はこれからも太くなり、国際的な結びつきをも強くする。
 このように皇室が順風満帆なのは嬉しい限りながら雅子妃殿下の長引く病気(適応障害)治療や愛子さまの通学の課題など暗雲もある。雅子さまのご病気は生活環境などが影響するし、医薬品で簡単に治癒するものでないだけにかなり厄介だし、これはもう気をながくして取り組むしかない。
 それでも、近頃はかなり回復が進んでいるようだし、愛子さまも級友らと親しくなり平常な学校生活が近いの観測しきりなのである。勿論、天皇の継承についても議論を進める必要があろうし、あるいは皇室典範の改正や見直しにも取りかからなくてはなるまい。
 これには3年や5年掛かってもいいから皇室の歴史や日本の文化に詳しい学者などに検討してもらい忌憚のない意見を闘わせながら将来の像を描ける提案をと期待したい。(遯)