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リオ最強の犯罪組織誕生秘史=政治犯と犯罪者の交流で=接点はグランデ島の監獄

特集 2010年新年号

ニッケイ新聞 2011年1月1日付け

 リオ犯罪組織と警察部隊の激突を描いた映画『トロッパ・デ・エリーチ2』がブラジル内映画史上最高の観客数を記録した一方、今年、リオ州では国内最大規模の犯罪組織コマンド・ベルメーリョ(CV=赤い指令隊)の警察への報復活動に対し、政府は軍隊まで動員してファヴェーラのCV一掃を徹底。映画が現実化したような様が国民に大きな衝撃を与えた。国内で最も危険とされるその犯罪組織の誕生の歴史的経緯を追ってみた。

 リオ州南部沿岸に浮かぶ孤島イーリャ・グランデのドイス・リオスにそびえ立つ廃墟は、1903年に創設された牢獄カンジド・メンデス。その時代、国内最高水準の警備体制が敷かれた監獄は、94年に爆破されて閉鎖されるまでに何千人もの囚人を収容した。後ろを山に阻まれ、海に面したその地から逃げ出すことは至難の業だった。
 カンジド・メンデスはヴァルガス時代から70年代の軍事政権まで、革命運動を起こして捕まった多くの政治犯が収容された事で知られる。69年施行の国家治安維持法(LSN)で、犯罪者は罪の如何を問わず同様に償うと定められたことから、この監獄には政治犯と一般強盗犯が一緒くたに投獄された。それが後世に意外な影響を残すことになった。
 60年代、リオ市内では軍事政権打倒に燃える革命運動家は都市型ゲリラ戦術を用い、組織の資金調達のために銀行を襲う事件が頻発していた。それに乗じて一般の強盗集団の間でも銀行強盗が流行った。70年代には、この一連の動きの中から捕まった政治犯、強盗犯らで牢獄はひしめき合っていた。
 こういった牢獄の中では、政治犯と強盗団の間で交流が行われていく。インテリと強盗、当初こそ対立していた2つのグループだったが次第に融和が深まった。監獄でも政治犯は革命運動を諦めずストライキを活発に打ち、貧困層の応援を得ることも視野に入れていたからだ。銀行強盗たちは獄中でのインテリ階層との接触から多くの〃知識〃を得たと後にメディアに証言している。
 585年間の拘留という銀行強盗、殺人の罪で71年に投獄されたアンドレ・トーレスは、同牢獄の初期一般犯罪者の一人だった。当時21歳だったアンドレの記憶によれば、監獄での事件は同年に起こる。
 発端は、牢獄で新参者の強盗団DKWが、アンドレの仲間の一人から小銭を盗んだことだった。アンドレの銀行強盗時の仲間がその強盗団への襲撃を実行し、4人を殺害した。アンドレらはそのために離れの棟「フンドン」に隔離された。その棟の中で結束された強盗団の一味がコマンド・ベルメーリョの原型となる。
 その時のメンバーにはフラヴィオ、グアシェ、ウィリアン、プロフェッソール、ジャポネースなど、ナイフで手のひらに傷を付け合って〃血の誓い〃をしたと言われる。アンドレは「政治犯から学んだことから」組織を作ることを思い付いたと回想している。名前などなかったグループの当初の呼称はファランジェ・ベルメーリョ(赤い軍団)になっていた。
 以後、牢獄の中でメンバーを増やし最も大きな権力を持つようになったCVは、ゲームでの賭けや麻薬の取引を行っては資金を貯めていったとされる。仲たがいも頻繁に起こり、現在CVの天敵となるリオの犯罪組織テルセイロ・コマンドも牢獄の中でCVメンバーから分裂して組織された。こういった犯罪組織の拡大に、「国家治安維持法がCVを生み出した」との当時の新聞記事の批判も残されている。
 カンジド・メンデスは約100年続いた末の93年に閉ざされ、その翌年リオ州のレオネル・ブリゾラ政権の下で200キロのダイナマイトで爆破された。長い間放置されていた廃墟は現在、リオ州立大学の協力で博物館に改修するプロジェクトが進められている。
 現在のドイス・リオスは、当時の看守の住居が集まって小さな町になっているほか、島を気に入り出所後も住み着いた囚人もいるという。

著名な政治犯

オリジェネス・レッサ

 1932年の護憲革命に参加し投獄。ロマン主義作家、ジャーナリストで革命運動の報道を行っていた。

グラシリアノ・ラモス

 元アラゴアス州パルメイラ・ドス・インジオス市長、ジャーナリスト。ヴァルガス政権下で捕まったが、逮捕の理由は不明。出所後、カンジド・メンデスでの牢獄生活を詳細に綴った。

フェルナンド・ガベイラ
 ジョルナル・ド・ブラジルの記者で、後の下院議員(PV=緑の党)。60年代末、軍事政権に対する武装闘争を起こし69年に投獄、10年を島で過ごした。

島に居残った囚人

マダメ・サタン
 16年間の牢獄生活の後、島の生活を気に入り一生イーリャ・グランデで過ごした。料理人として新しい料理を開発、今も島ではココナッツ入りのモケッカ・デ・ペイシェのことをマダメ・サタンの名前で呼ぶ。

華麗なる脱獄

エスカジーニャ
 1985年大晦日、最高水準の警備体制だったカンジド・メンデスからヘリコプターを使って脱獄。ブラジル史上、最も華麗な逃走劇の一つに数えられている。