ニッケイ新聞 2011年1月4日付け
きょう4日は「御用始め」だし、いわゆる「仕事始め」である。ブラジルでの正月も、もう40数回になるが、20代には海岸へ遊びに行ったりが多く、家に籠って昼酒、夜酒に溺れるようなこともなく、青い海原を眺めての冷たいカイピリーニャと午睡が楽しみ—夜は夜でショッピを傾けながら娘さんらと談笑するうちに夜が明けたりもした。と、やはり酒浸りなのだが、海は空気が綺麗で胸の奥深く染み込み、これが宿酔を防ぐ▼35、6歳になると、日本の御節料理が懐かしくなり、慣れない手に包丁を握り料理本を側に置きながら俎板に向かうけれども、これがまた至難中の至難。数の子はないし、黒豆もない。田作りはなんとか誤魔化したが、とにかく—完全なる失敗に終わった。ならば—雑煮だけでもと汗を流したが、これとても生まれ育った田舎のような牡蠣も、焼き干しの鮎もない。致し方なく鶏のダシを使い東京風の簡潔なもので我慢に我慢なのである▼あの当時も和食の店はあったが、本格的な「御節料理」で客を呼ぶところはなかったように思う。ここサンパウロの日系の家でこの御節を造れる主婦は少ないのではないか。最近は和食の食材も豊富になっているが、よほど手馴れた腕を持っていないと、万全を期するのは難しい。ところが、最近はかなり本調子の「御節」が売り出されるようになったのは、何とも幸せに尽きる。些か高めながら—新年を賀するのだから阿堵物などに拘ってはいけない。ここはポンと板前さんにご祝儀を包み「美味かったよ」と声を掛けたい。新年明けましておめでとうございます。(遯)