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リオ被災地緊急ルポ=SOS届け!支援の手=《2》=高級マンションが全壊=「誰が予想できたか?」

ニッケイ新聞 2011年1月28日付け

 22日午後、リオ市内から車を走らせること4時間、180キロメートル離れたノヴァ・フリブルゴ市に向かっていた。途中、テレゾポリス市脇の街道を通過した一行は、半分以上が崩壊したヴィエイラ区を通りかかり、愕然とした。
 すでに乾いて固まった泥に埋まった住居で掃除をしているのか、行方不明の家族を探しているのか、住民らしき人が瓦礫の上を呆然と歩いていた。住む場所を無くし、希望を失った人々の落胆した姿を前に、窓からカメラを覗かせる事すらはばかられた。

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 一行を乗せた車が目的地ノヴァ・フリブルゴに乗り入れた瞬間、緊張が走った。SOSと書かれたトラック、サイレンを鳴らした救急車が次々と横を通り過ぎる。数日間雨が降っていないことから、地面はすでに砂の塊と化していた。
 ただただ膨大な山のような泥の中に、よく目を凝らせば家の屋根のようなものが点々と見える。山に挟まれた谷のような地形に集中豪雨・・・。「予告された天災」との数日前の伯字紙の見出しが頭をよぎる。
 勢いの余り反対側の斜面まで飛び散った泥、運良く残った住居の建物壁にこびりついた濁流の跡が、災害の凄まじさを言葉以上に雄弁に物語っていた。
 到着早々、同地で落ち合う約束をしていたノヴァ・フリブルゴ文協の渡辺求会長の携帯電話が通じないトラブルに見舞われた。現地では5日間も電気も水も固定電話もつながらない状態が続き、同日にようやく携帯電話の一部の回線が復旧したばかりだった。
 埃っぽい街は閑散とし、廃墟のように人気(ひとけ)が少ない。なんとか連絡がついた渡辺会長は救援活動を行っていた避難所から駆けつけ、松岡利治副会長(73、埼玉)も合流し、一行をセントロの被災地へ案内した。
 災害発生から10日以上が経ち、もう遺体の捜索は行っていないようだ。松岡副会長は「事故直後は、救急隊が到着するまで住民が自ら瓦礫の山に登って救助活動に懸命だった」と振り返る。
 同地の被害は貧困層に限らず、市民全体に降りかかった大災害だった。「6階建ての高級マンションが崩れ落ちるなんて誰が予想したか」、渡辺会長はため息を洩らす。前市長らの高級マンションも全壊し、某元市長の遺体は9メートル泥に埋もれて発見された。
 その夜、一行は被害の少なかったムリ区のレストランで夕食を取った。一行を歓迎した藤巻修充さん(79、新潟)も、大きな被害を被った1人だった。「悪魔にやられた。日本の地震と同じだ」。藤巻さんが社長を務める農機具会社NIBRAの店の一部も、裏山が崩れた衝撃で溢れた川の濁流により、「台所と便所がもぎ取られた」という。「川を隔てた家屋は跡形もなくぺちゃんこ。住んでいた夫婦は遺体もあがってない。紙一重だ」と、事故の恐怖を語っていた。
 一行は同市内に宿泊できるホテルを探したが、裕福な家庭の避難場所として満室状態だった。「被災地のお宅に泊めてもらうなんて全く気の毒だ」—という菊地義治援協副会長の気遣いもやむなく、一行はフロルランジア・ダ・セーラ区にある松岡副会長の農園に泊めてもらう事に。副会長の隣家の畑も無残に流されていた。電気も水道もない同地であたりには真っ暗な闇が広がる。夜空に広がる満天の星空だけが一行の心を和ませた。(つづく、長村裕佳子記者)

写真=荒れ果てたセントロの様子に愕然とする一行/濁流の勢いで破壊された藤巻さんのお店の裏