ニッケイ新聞 2011年1月29日付け
日本語とは生まれてからの付き合いです。私は高知生まれの日系三世で、生後10カ月の時にブラジルへ来ました。両親はとても日本文化を尊重する人たちで、私は毎日日本語に触れられる環境に育ちました。そのせいか、物心ついたころにはポルトガル語より日本語の方が得意になってしまいました。
幼少期には、国籍がブラジル人であるにもかかわらず、「僕は日本人だ!」と言い張っていました。自分が日本生まれだということがよほど誇らしかったのでしょう。ですがそれはあまりにも極端で、ブラジルの文化を拒否するほどの性格になりました。フェイジョアーダなどのブラジル料理は中学生になるまで受け付けませんでしたし、サッカーは絶対にやりませんでした。
そんな日本好きな子供だった私は、おばあちゃんと話すには苦労しませんでしたし、ブラジリアに引っ越した際には日本大使館の子たちと友達になることもできました。そして日本語の本、テレビ番組、マンガは大好きで、一日中日本語に没頭する毎日を過ごしていました。小学校に入るときには物事をすべて日本語で考えていたので、ポルトガル語の作文などを書く時に苦労したことを覚えています。
そういう日常を送っていたせいか、日本語能力試験の1級には11歳で受かることができ、中学に入るころには、通訳として働いてもらうように誘われたり、日本語を教えてくれないかと人に頼まれたりもしました。
ですが日本語はそういった経験より大切なものを教えてくれました。その中でも一番大きかったのが、挫折を知ったということです。数年前の私はプライドが高く、日本語に対して絶対の自信を持っていました。スピーチコンテストは楽に1位、JICAの研修試験などは努力せずに通過できるものだと思っていて、自信満々で挑戦しましたが、敗北、落選の連続。そこで自分の日本語というものに対しての取り組み方を見直さなければいけないと知りました。
その翌年には努力を積み重ね、スピーチを勝ち取ることができました。そしてさらに、日本で研修をするための試験にも合格できました。結果を知ったときの嬉しさと言ったら、言葉では言い表し難いものです。
そして2010年の1月、日本へ行く日がやってきました。胸を期待でいっぱいに膨らませて行ったJICA日本語生徒研修は想像を遥かに超えた素晴らしいものでした。日本文化についてもっと深く知ることができた毎日の授業、自分の先祖が住んでいた国がどれほど美しいかを知ることができた観光旅行、日本の人々がどういう風に生活して勉強しているかを知ることができたホームステイと中学校体験入学など、大変貴重な経験を得ることができました。そして1カ月の間で何よりも心に残ったのが国境を問わずにできた仲間たちの事です。彼らと一緒に過ごした日々は1年たった今でも忘れられず、一生の思い出になるでしょう。
さて、今年で日本語との付き合いも17年になります。おかげさまでたくさんの事を学び、色んな経験を得ることができ、たくさんの友達ができました。ですが、日本文化の面影が世代が替わるごとに薄くなっていくことが残念でたまりません。ブラジルで日本語を話せる子供はもうほとんど見当たらなくなり、日本の人達の風習も少しずつ変わってきています。
私はいままでお世話になったお返しに、できるだけたくさんの人達にこの日本文化の美しさを伝えるために努力して、自分なりにブラジルの文化発展に貢献したいと思います。そして、何年先になるかわかりませんが、我が両親が私にしたように、私の子孫にもこの素晴らしき文化を受け継がせてあげたいものです。
日本語よ!ありがとう! そしてこれからもよろしく!
(ブラジリア・モデル校、16歳)
写真=ブラジリア・モデル校