ニッケイ新聞 2011年2月10日付け
2年に一度の文協最大のイベント、会長選挙が今回も火ぶたを切った。03年に75歳で就任した上原幸啓会長以来、文協は一変した。以前は禅譲が事前に相談され、なんら波風なく政権が譲渡されるのが常だったが、05年からは選挙が〃恒例行事〃となった▼05年には上原体制派に対し、谷広海氏が異例の選挙事務所開きまでして鳴り物入りの立候補をしたのは記憶に新しい。第3の候補として選挙のプロである下本八郎元サンパウロ州議が名乗りを挙げて三つ巴の争いをし、候補者演説会やイマージェンス・ド・ジャポンがテレビの政見放送までしたのはコロニア史に残る出来事だった▼当時は会員が会長選挙に直接投票し、谷派804票と上原派733票という結果だった。普通の投票なら単純に谷派の勝利だが、投票直前になって文協史上初めて決選投票が実施されることが発表され、大どんでん返しが起きた。わずか100票ほど過半数に届かなかったために谷氏は涙を飲んだ▼この時100人もの新会員を入れて「文協を考える会」を立ち上げて立候補かと思われた小川彰夫氏は、上原派支持を表明し副会長に収まった。しかし07年には上原派(52票)、戦後移民を中心に高木ラウル氏を担いだ「しんせいきの会」(37票)、小川派(12票)が再度三つ巴になり、野党票を合計すればあと3票まで肉薄していた▼票が割れた反省にたって09年には小川派は野党を糾合し、体制派54票、小川派46票というきわどい結果を生んだ。今回も野党の大同団結なくして体制打倒はありえない。必勝を狙うなら第3のシャッパは極力さけるべきだ。(深)