ニッケイ新聞 2011年2月12日付け
イタペセリカの日本人会が、今も「教育勅語」を奉読しているの記事がサンパウロ新聞で報道され老友らとの歓談で話題になった。遯生も若い頃にイタペセリカで取材したし、サンパウロ市内の日本語学校でも、白い手袋の校長先生が「朕惟うに我が皇祖皇宗 国を肇むること宏遠に徳を樹ること」と壇上で重々しく読み上げたものである▲私事ながら遯生は昭和20年4月に国民学校(今の小学校)に入学しているので学校には立派な奉安殿があり、登校と下校のときは最敬礼。2月11日の紀元節となれば、講堂から「雲にそびゆる高千穂の」と元気な歌声が流れたものである。ところが、昭和23年になると、新憲法の趣旨にそぐわないということから国会の議決で廃止されてしまった▲勿論、奉安殿も教育勅語もなくなり、二宮尊徳が薪を背負い書物を読みながら山道を歩く少年時代の銅像までが姿を消してしまったのは、今にしても惜しい。あの国会で廃止になった紀元節が、やっと蘇ったのは昭和41年(1966年)になってからであり、呼び方も「建国記念日」となってしまったのは、いささか残念な気もするが、まあ—これは時の流れであり仕方がない▲あのときの国会論議は凄まじいばかりだったし、政治家を始め学者も大騒ぎ。三笠宮崇仁さまが「2月11日に科学的根拠はない」と発表し話題になったが、最近はやっと落ち着いて仄々とした式典になってきているのは喜ばしい。ブラシルの独立記念日のような猛々しさや厳かさには欠けるが、それでも、建国を祝う心が広がりしっかりと国民に根付いてきたのは何とも頼もしい。(遯)