ニッケイ新聞 2011年2月16日付け
第1回汎パウリスタ太鼓大会の開催地であるドラセーナ。同地文協文化担当の岡本英樹氏によれば、2週間後に会員からの寄付で購入した太鼓20個が届くという。既にメンバー約25人が集まっていたが、これまで竹筒を叩いて練習を続けていた。同沿線ではポンペイア、オズワルド・クルス、アダマンチーナ等でも太鼓部を結成したいとの声もあるという。和太鼓で若者の心を掴む試みは、ますます広がりを見せそうだ。
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戦前の伯謡会は勝ち負けの人間関係を象徴するものだ。1939年10月の第1回謡曲会の演者側には鈴木威(後の認識派)と吉川順治(後の臣道聯盟理事長)が並ぶ。木村貫一郎夫人(後にパ紙編集長になる木村義臣の母)とその娘の名も。同11月の第2回参会者の名前を見れば野村忠三郎、翁長助成(後の認識派)、黒石清作(ブラジル時報、勝ち組)、加藤好之らが名を連ねる。加藤好之は負け組の中心であった宮坂国の右腕的な人物。戦後、伯謡会を復活させた鈴木威が使っていた小鼓は脇山大佐から吉川を通して届けられたもので、大鼓の方は吉川が長年愛用していたものを、亡くなった後に娘が鈴木に届けたものだったとか。まさに戦前の〃仲間〃が勝ち負けに分かれてしまったの図だ。