ニッケイ新聞 2011年2月24日付け
バイア州コルデイロス市出身者2千人(人口の4分の1)以上が、サンパウロ市の日本食レストランで働いていると、20日付エスタード紙が報じた。
ライムンド・マラニョンさんは、コルネイロス市からサンパウロ市へと仕事を見つけるために移動し、日本食店で働く2千人の内の1人。
12年もの間、空腹にも耐えながら一生懸命働いた結果、すし職人として認められたマラニョンさんは、初めて半被と鉢巻を着る事を許されたときには、その感動を抑えられず、うれしさで泣きだしたという。
1124万4369人の人口をもつ大都市(サンパウロ市)に住んでいる人からしてみれば2千人は少ないかもしれないが、人口わずか8169人のコルデイロス市の人から見れば、住民の4人に1人が生魚を扱う職場で働いていることになる。
コルデイロス市からサンパウロ市への人の移動は15年前に始まったが、その動きが顕著になったのは、先駆者たちがマグロや鮭の捌き方を覚え成功したことがきっかけで、「1人が別の人の親に電話をかけ、こっちに来るために助けを頼んだ」と述べるのはケル・サルモンさんだ。
サルモンさんはマラニョンさんの日本食レストラン『Tatzu・Zushi』(ラッパ区)の共同経営者であり、サンパウロ市に来てから12年にもなる。
マラニョンさんは、「ブラジル北東部の人達の夢はサンパウロに住むこと」というが、サンパウロ市内には既にたくさんの日本食店があるため、今から成功するのは容易なことではない。このため、サルモンさんは「これからはフォルタレーザやナタウ、サンパウロ付近ならABC地域に賭けるべき」と話している。
また、故郷のコルデイロス市ではサンパウロで自分の店を開けたりして成功している人が増えたため、不動産の値段が上がり、フェイジョンやとうもろこしの栽培や、乳製品やカシャッサの生産で生計をたてている人々を驚かせている。
コルデイロス市のイザウロ・リカルド市長は、「この町の出身者がサンパウロで成功している様子は目を見張るほどだが、ここでは仕事の口がないから故郷を離れるのだろうと思うと辛い」と述べている。